【現代語訳】

お立ちになって、

「先夜のお目当ての人に会おう。先日の渡殿も心慰めに見よう」とお思いになって、御前を渡って西の方にいらっしゃるので、御簾の内の女房は特別に緊張する。いかにもたいへん姿よくこの上ない振る舞いで、渡殿の方では左の大殿の公達などがいて何か言っている様子がするので、妻戸の前にお座りになって、
「よく参上はいたしますが、こちらの御方にはお目にかかることもめったにございませんので、いつのまにか年寄りになってしまったような気持ちでございますが、今からは、と気を取り直しまして。不似合いな振る舞いだと、若い人たちは思うでしょう」と、甥の公達の方を御覧になる。
「今からお馴染みにおなりになるとは、確かにお若返りなされるでしょう」などととりとめもないことを言う女房たちの様子も不思議と優雅で、風情のあるこちらの御方のご様子である。特に用事ということはないが、世間話などをしながら、しんみりといつもよりは長居なさった。

姫宮はあちらにお渡りあそばしていたのだった。大宮が、
大将がそちらに参ったが」とお尋ねになる。お供して参った大納言の君が、
「小宰相の君に何かおっしゃろうとのことでございましょう」と申し上げると、
「真面目な方が、それでもやはり女性に思いを寄せて話をするのは、気のきかない人だったら困りますね。心の底も見透かされるでしょう。小宰相などはとても安心です」とおっしゃって、ご姉弟であるが、この君をやはり気になさって、

「女房たちも不注意に応対しないでほしい」とお思いになっている。
「どの女房よりも心をお寄せになって、局などにお立ち寄りなさるのでしょう。お話をしんみりなさって、夜が更けてお帰りになる時々もございましたが、普通のありふれた色恋沙汰ではないのでしょうか。宮をとても情けないお方と思って、お返事さえ差し上げないようでございます。恐れ多いこと」と言って笑うと、宮もにっこりあそばして、
「ひどく見苦しいご様子を、知っているのがおもしろい。何とかして、あのようなお癖を止め申したいものです。恥ずかしいね、そなたたちの手前も」とおっしゃる。

 

《中宮にしっかりと頼んでおいて、薫はおもむろに姫宮のところに向かいました。本来こちらが目当てなのですが、何とも自然に見える鷹揚な振る舞い方で、浮舟が宇治にいたころ出向いた折に、まずそこの僧たちに布施を与えるなど所用を済ませてから、やおら浮舟を訪ねたとき(浮舟の巻第三章第三段)のことを思い出します。

 「先夜のお目当ての人」は小宰相、「先日の渡殿」は女一の宮を隙見した渡殿、とされますから、二重の期待をもって行ったようです。

 薫のお越しとあって女房たちは緊張し、期待して待ち構えます。「たいへん姿よくこの上ない振る舞いで」おいでになった薫は、夕霧の子息たち(薫から見れば甥たち)に、これまた鷹揚に挨拶の言葉を掛けます。

 しかしその後が分かりません。「姫宮はあちらにお渡りあそばしていた」というのですが、「あちら」とは、諸注、明石中宮のところと言い、それならさっきまで薫がいたところです。中宮が「大将がそちらに参ったが」と訊ねたと言いますから、それまではそこにはいなかったわけで、薫が立ってから行き違いに中宮方に来たことになります。そんなことをどうしてするのか、何の説明もありませんし、手元の諸注もなぜか何も触れてくれません。

 ともあれ、そこで姫宮に付いて来た大納言が中宮に、薫の姫宮を訪ねた意図が、実はお傍の小宰相にあるようだという話をしたのでした。

 薫の目当てが小宰相だということで、あの人なら薫のお相手としても安心だと、彼女の評価がどんと上がりました。中宮は、そういうことなら、薫は今後しばしば出入りすることになろうと考えたのでしょうか、我が弟ながら(本当は違うのですが)、みっともないところは見せられないと、女房たちに注意を促します。

大納言はさらに、二人の関係は「普通のありふれた色恋沙汰ではない」と、浮ついたものではなく、ずいぶんまじめなものだと話したついでに、実は小宰相は匂宮君からも思いを寄せられているけれども、小宰相の方が宮の浮気をよく承知していて、「お返事さえ差し上げない」そうなのですよ、と「言って笑う」のでした。匂宮を袖にしているというのは、この人たちにとって痛快なことであるのでしょう。

とは言え、中宮は当の母親なのであって、その人にそういうことを言うのは、かなり危ないことではないのかと思われるのですが、中宮の大納言への信頼度がよほど高いのか、あるいはまた、そういう点では、匂宮も中宮からは独立した一人の若者として見えているのかも知れません。

女房が匂宮に厳しい対応をしてくれるのは、中宮にとってもありがたいことで、うまく行けば匂宮の行状にお灸をすえることにもなるかも知れぬ、くらいには思われたかも知れません。》

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