【現代語訳】

 翌朝、お起きになった女宮の御器量がとても美しくいらっしゃるように見えて、

「こちらよりも必ずまさっていらっしゃるというわけではない」と思いながら、

「まったく似ていらっしゃらない。驚くほど上品で、何とも言えなかったほどのご様子だ。一つには気のせいか、あんな場合だったからか」とお思いになって、
「ひどく暑いことだ。これより薄いお召し物になさい。女性は、いつもと違った物を着ているのが、その時々につけ趣があるものです」と言って、

「あちらに参上して、大弍に、薄物の単衣のお召し物を縫って差し上げよと申せ」とおっしゃる。御前の女房は、

「宮のご器量がたいそう女盛りでいらっしゃるのを、さらに引き立てようとなさる」と興あることに思っている。
 いつものように念誦をなさるご自分のお部屋にいらっしゃるなどして、昼頃にお渡りになると、お命じになっていたお召し物が、御几帳に懸けてあった。
「どうして、これをお召しにならないのか。人が大勢見る時に、透けた物を着るのは、はしたなく思われる。今は構わないでしょう」と言って、ご自身でお着せ申し上げなさる。御袴も昨日のと同じ紅色である。御髪の多さや裾などは負けないが、やはりそれぞれであるのか、とても同じようには見えない。氷を持って来させて、女房たちに割らせなさる。取って一つ差し上げなどなさる心の中でもおもしろくお思いである。
「絵に描いて恋しい人を見る人もいるではないか。ましてこの宮は、気持ちを慰めるのに似つかわしくないということのないご姉妹だ」と思うが、

「昨日このようにして、自分があの中に混じっていて、心ゆくまで拝することができたなら」と思うと、われ知らず溜息が漏れてしまう。
「一品の宮にお手紙は差し上げなさいますか」と申し上げなさると、
「内裏にいたとき、主上がそのようにおっしゃったので差し上げましたが、長いことそういたしてません」とおっしゃる。
「臣下におなりになったといって、あちらからお便りを下さらないのは、残念なことです。そのうちに大宮の御前で、お恨み申しておられます、と申し上げよう」とおっしゃる。
「どうしてお恨み申していましょう。嫌ですわ」とおっしゃるので、
「身分が低くなったからといって軽んじていらっしゃるようだと思われるので、お便りも差し上げないのです、と申し上げましょう」とおっしゃる。

 

《女一の宮を垣間見た印象は強く、翌朝、正室で妹の女二の宮を見ても、薫はその人の美しかったことが思い出されます。

 朝、顔を合わせた時、一瞬は、妻も負けないくらいに十分美しく見えたのですが、しかし見慣れてくると、やはり昨日の方のお姿の方が格段によかったように思えてきました。

 いや、待て、あれはあの場面がよかったのかも知れないと、妻に同じ場面を作ってみることにします。まず、着物をあの方のと同じ「白い薄物のお召物」(第二段)にしようと、「あちら」(三条の母・女三の宮邸)に、何と、新たに作らせるように命じます。

 その着物が、これまた何と、昼頃には届いていました。女二の宮が几帳に掛けて置いてすぐには着なかったのは、「透けた物」だったからでしょうか、薫は手づからそれを着せます。「御袴も昨日の(姫宮のもの)と同じ紅色」にします。しかしそれでも姉上のようには見えません。髪は? その豊かさ、裾の広がる感じなど変わらないのですが、やはり「とても同じようには見えない」のでした。

薫はさらにあの場面に合わせて氷を持って来させて、一かけらを差し出します。ひょっとして「いえ、持ちとうない。雫が嫌だ」(前段)とでも応えてくれるのではないか、そう思ったのでしょうか、差し出しながら薫は「心の中でもおもしろく」思った、と言いますが、いい年をして、ばかじゃないか、としか思えないのは、私だけでしょうか。

不思議なのは、こういうことを語る作者の口ぶりが、決して薫をからかって批判的に語っているのではなく、むしろ薫と同じ目線に立って、おもしろい趣向として描いているように読めることです。

 薫も(作者も)気が咎めたのか、絵に描いたのを見て慰めた人もあるのだからこういうことをしても不思議ではなかろうと弁解気味に言って、改めて妻を見るのですが、結局残念ながら姉宮には及ばないようです。

これはやはりもう少しご当人に近づくにしくはないと考えて、妻に姉宮宛の手紙を書かせて、せめてその返事に接しようと、「冗談めかして」(『集成』)妻を口説き始めました。

『評釈』が、この姉妹には「重大で決定的な違いがある」のだといって、「(姉の)女一の宮の母は、光る源氏の姫、明石の中宮でこの上なくけだかい」、しかし女二の宮にはその地が入っていない、と言い、だから当然姉宮の方が美しいので、そもそも比較にならないのだと言いたげに、これもまた大真面目に説明します。

なるほど、それは作者もそういう流れで語っているのかもしれないという気もしますが、大切なことは、薫にそう見えた、ということであって、実際にどちらが美しかったかなどいうことはあまり問題ではないでしょう。》

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