【現代語訳】

 蓮の花の盛りに法華八講が催される。六条院の御ため、紫の上のなどと、皆それぞれに日をお分けになって、お経や仏などを供養あそばして、大がかりに立派に催された。五巻目が講じられる日などは、大変な見ものだったので、あちらこちら、女房の縁故をたどって、見物に来る人が多かった。
 五日目の朝座で終わって、御堂の飾りを取り外しお部屋の飾りつけを改めるので、北の廂も、襖障子なども外してあったので、皆が立ち入って整えている間、西の渡殿に姫宮はいらっしゃった。

お経を聞き疲れて、女房たちもそれぞれの局にいて、御前はたいそう人少なな夕暮れに、大将殿は直衣に着替えて、今日退出する僧の中に是非にお話なさらなければならない事があったので、釣殿の方にいらっしゃると、皆が退出してしまっていたので、池の方でお涼みになって、人も少なく、例の小宰相の君などが仮に几帳などを立ててちょっと休むための上局にしてあった。
「ここであろうか衣ずれの音がする」とお思いになって、馬道の方の襖障子が細く開いているところからそっと御覧になると、いつもそのような女房がいる感じと違って、広々と片付けられているので、かえって几帳などがいくつも立て違えてある間から見通されて、丸見えである。
 氷を何かの蓋の上に置いて割ろうとして騒いでいる女房たちが、大人三人ほどと童女がいた。唐衣も汗衫も着ず、みな打ち解けていたので御前とはお思いでないが、白い薄物のお召物を着ていらっしゃる人で、手に氷を持ちながらこのように騒いでいるのを少しほほ笑んでいらっしゃる方のお顔が、何とも言いようもなくかわいらしげである。
 ひどく暑さの堪えがたい日なので、うるさい御髪が暑苦しくお思いになられるのであろうか、少しこちら側に靡かして引いている様子は、譬えようがない。

「大勢美しい女性を見て来たが、似ている人は誰もいないことだ」と思われる。御前の女房はまこと土人形のような気がするのを、冷静になって見ると、黄色い生絹の単衣に薄紫色の裳を着ている女で、扇をちょっと使っているところなど、嗜み深いと、すぐに目が留まって、
「かえって、氷を扱うのに、とても暑苦しそうです。ただそのままで御覧なさい」と言ってにっこりしている目もとが愛嬌がある。声を聞くと、この心をかけている女と分かった。

 

《浮舟が失踪したのは四月当初、その後四十九日の法要も終わり(五月末ということになります)、今、「蓮の花盛り」(「NHK趣味の園芸」テキストによれば、開花時期は七月から九月とありますから、盛りは八月ごろ、旧暦では七月、残暑のきびしい頃)です。

長らく続いた宇治の片田舎の話から、いきなり話が変って、新たにみやびな都の話になりました。この「法華八講」は源氏や紫の上のためと言いますから、主催は明石中宮です。それが「大がかりに立派に催された」とあって、何か新しい物語の始まりのようですが、そうではなくて、小宰相の話の続きで、その催しの後に小さな出来事があったのでした。

 五日間の法要が終わって、会場に使われた寝殿が普段の姿に復元され、その北の廂に部屋のも模様替えの人が入っていますので、女一の宮は西の渡殿に移動しています。

多くの女房は、それぞれの部屋に下がっていて、そちらの方は「人少なな夕暮れ」です。 

そこに薫が、一人の僧に用事があってやって来て、釣殿(「西の対に続く廊の南端にあるのであろう。衆僧の控室とされていた趣」・『集成』)の方に探しに行きましたが、僧たちはもう退出した後でしたので、所在なく池の端に出て涼んでいると、向こうの部屋の方から衣擦れの音が聞こえました。

 彼は、「ここであろうか」と思って馬道の襖障子の隙間から覗いて見ますと、がらんとした向こうの方に数人の女性がいました。このあたり、サイト・大林組作成「六条院全体配置図」が参考になりますが、「馬道」が示されていないので、明解ではありません。それを『集成』が言う「西の対を南北に仕切る馬道」と考えると、また分からなくなります。

 ところで、ここのところ、いろいろ分かりにくく思われます。

まず、「池の方でお涼みになって」は、係っていくところが無いようにみえますが、「人も少なく、…上局にしてあった」は挿入句で、「とお思いになって」に係る、とでも考えるのでしょうか。

 また「衣ずれの音」がしたのは「上局にしてあった」部屋からなのでしょうが、それは西の渡殿以外になさそうです。すると、女一の宮のいる部屋が、同時に女房たちの上局にもなっていたということでしょうか。

もう一つ、「ここであろうか」は、目当ての僧の居場所を言うのか小宰相(『評釈』説)なのか、よく分かりませんが、まあ、そういうことで通過します。

そこでは、大きな催しが無事に終わった後の休息時間でということで、女性たちはいたって明るくくつろいだ様子で、氷を囲んでさざめき合っているようです。

その中に、女房たちのさざめきを一人笑ってみている人が、「似ている人は誰もいない」と薫が思うほど抜きんでて美しく、実は「御前とはお思いでない」でいた、つまり女一の宮がここにいるとは知らなかったようなのですが、それを見て、その人だと悟りました。

その方を見てしまうと傍の女房たちは「土人形」に見えるほどだったのですが、それでも中の一人が「嗜み深いと、すぐに目が留ま」って、その声で小宰相だと分かりました。「今初めて女の顔立ちを見た趣」(『集成』)です。》

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