【現代語訳】

 侍従などは、日頃のご様子を思い出して、「死んでしまいたい」などと泣き入っていらっしゃった時々の様子や、書き置きなさった手紙を見ると、「亡き影に」と書き散らしていらっしゃったものが硯の下にあったのを見つけて、川の方を見やりながら、ごうごうと轟いて流れている川の音を聞くにつけても、気味悪く悲しいと思いながら、
「そのようにしてお亡くなりになっただろうお方をあれこれと噂し合って、どなたもどのようなふうにお亡くなりになったのかとお疑いになるのも、お気の毒なこと」と相談し合って、
「秘密の事とは言っても、ご自身の心から始まっての事ではない。母親の身として、後にお聞き合わせになったとしても、別に恥ずかしい相手ではないのだから、ありのままに申し上げて、このようにひどく気がかりなことまで加わってあれこれ思い惑っていらっしゃるのを少しは合点の行くようにして上げよう。お亡くなりになった方としても、亡骸を安置して弔うのが世の常なのに、世間の例と変わった様子で幾日もたったら、まったく隠し通せないだろう。やはりお話し申し上げて、今は世間体だけでも取り繕いましょう」と相談し合って、こっそりと生前の状態を申し上げると、言う人も消え入るばかりで言葉も続かず、聞く気持ちも乱れて、

「それでは、このとても荒々しい川に、身を投じて亡くなったのだ」と思うと、ますます自分もその川に落ち込んでしまいそうな気がして、
「流れて行かれた所を探して、せめて亡骸だけでもちゃんと葬儀したい」とおっしゃるが、
「全然何の効もないでしょう。行く方も知れない大海原にいらっしゃったでしょう。それなのに、人が言い伝えることはとても聞きにくい」と申し上げるので、あれやこれやと思うと、胸がこみ上げてくる気がして、どうにもこうにもなすすべもなく思われなさるのを、この女房たち二人で車を寄せさせて、ご座所や身近にお使いになったご調度類など、みなそのままそっくり脱いで置かれた御衾などのようなものを詰めこんで、乳母子の大徳やその叔父の阿闍梨、その弟子の親しい者など、昔から知っていた老法師など、御忌中に籠もる者だけで、人が亡くなった時の例にまねて出立させたのを、乳母や母君はまことにひどく不吉だと倒れ転ぶ。

 

《初めの「硯の下にあったのを見つけて」までは話のつながりが変ですが、一応原文に忠実に訳したもので、『評釈』も似たようになっていますので、そのままに置きます。(『谷崎』はさすがにいろいろ言葉を補って、話がつながる文章にしています)。

 さて、「侍従など」、つまり侍従と右近に、「亡き影に」の歌(浮舟が最後に描き残したもの・浮舟の巻第七章第六段)を見つけさせ、「ごうごうと轟いて流れている川の音」を聞かせて、そして「そのようにしてお亡くなりになっただろう(原文・さて亡せたまひけむ)」と思わせることで、作者はどうやら浮舟は入水したのだと確定したいようです。

 その上で、二人から母君に「今は世間体だけでも取り繕いましょう」と、浮舟の葬儀が提案することにしました。

薫と匂宮とのことはこれまでこの侍女二人と時方たち以外には「秘密の事」だったけれども、もともと「(浮舟)ご自身の心から」始まったトラブルではなく、浮舟に罪はないことなのだから、亡くなったにしても、人からいつまでもあれこれ陰口をきかれるようなことにしておくよりも、普通どおりきちんとすることを済ませる方が、浮舟の名誉を守ることになるだろう、そのためには、母君にまず事の一部始終を話そうと、二人の相談がまとまったのです。

 思いもかけない話を聞かされた母君は、いよいよ、娘は本当に死んでしまったのだ、それもどうやらあの恐ろしい音を立てて流れている川に身を投げたのだ、と思わねばならなくなって、自分も川に飛び込みたい気がしながら、せめて遺骸だけでも探したいと言いますが、二人は、今更する甲斐のない事であり、またそんなことをさせたら世間が知って「人が言い伝えることはとても聞きにくい」と思いとどまらせました。

 母君の関心は娘の死にだけ向かっているようで、二人の貴公子との関係についてまるで関心が向かないのはちょっと変な気がしますが、ともあれ、右近と侍従は先に立って遺品を集めて車に乗せ、周囲には何事もない普通の葬送のようにして送り出します。

母君と乳母の悲しみがこの上ないことは、言うまでもありません。

 途中、「どなたもどのようなふうにお亡くなりになったのかとお疑いになるのも、お気の毒なこと」の「お気の毒」がよく分かりません。原文は「いとほしきこと」で、『評釈』と『谷崎』はこう訳しますが、『集成』は「ほんとうに迷惑なことです」として、これなら明快なのですが。》

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