巻五十二 蜻蛉 薫君の大納言時代二十七歳三月末頃から秋頃までの物語

第一章 浮舟の物語(一) 浮舟失踪後の人びとの動転

第一段 宇治の浮舟失踪

第二段 匂宮から宇治へ使者派遣

第三段 時方、宇治に到着

第四段 乳母、悲嘆に暮れる

第五段 浮舟の母、宇治に到着

第六段 侍従ら浮舟の葬儀を営む

第七段 侍従ら真相を隠す

第二章 浮舟の物語(二) 浮舟失踪と薫、匂宮

第一段 薫、石山寺で浮舟失踪の報に接す

第二段 薫の後悔

第三段 匂宮悲しみに籠もる

第四段 薫、匂宮を訪問

第五段 薫、匂宮と語り合う

第六段 人は非情の者に非ず

第三章 匂宮の物語 匂宮、侍従を迎えて語り合う

第一段 四月、薫と匂宮、和歌を贈答

第二段 匂宮、右近を迎えに時方派遣

第三段 時方、侍従と語る

第四段 侍従、京の匂宮邸へ

第四章 薫の物語(一) 薫、浮舟の法事を営む

第一段 薫、宇治を訪問

第二段 薫、真相を聞きただす

第三段 薫、匂宮と浮舟の関係を知る

第四段 薫、宇治の過去を追懐す

第五段 薫、浮舟の母に手紙す

第六段 浮舟の母からの返書

第七段 常陸介、浮舟の死を悼む

第八段 浮舟四十九日忌の法事

第五章 薫の物語(二) 明石中宮の女宮たち

第一段 薫と小宰相の君の関係

第二段 六条院の法華八講

第三段 小宰相の君、氷を弄ぶ

第四段 薫と女二宮との夫婦仲

第五段 薫、明石中宮に対面

第六段 明石中宮、薫と小宰相の君の関係を聞く

第七段 明石中宮、薫の三角関係を知る

第六章 薫の物語(三) 薫、断腸の秋の思い

第一段 女一の宮から妹二の宮への手紙

第二段 侍従、明石中宮に出仕す

第三段 匂宮、宮の君を浮舟によそえて思う

第四段 侍従、薫と匂宮を覗く

第五段 薫、弁の御許らと和歌を詠み合う

第六段 薫、断腸の秋の思い

第七段 薫と中将の御許、遊仙窟の問答

第八段 薫、宮の君を訪ねる

【現代語訳】

 あちらでは、女房たちがいらっしゃらないのを探して大騷ぎするが、その効がない。物語の姫君が、誰かに盗まれたような朝のようなので、詳しくは話さない

京から、先日の使者が帰らないままになってしまったので、気がかりに思って再び使者をよこした。
「まだ鶏が鳴く時刻に、出立をおさせになった」と使者が言うので、どのように申し上げようと、乳母をはじめとして、あわてふためくことこの上ない。考えても見当がつかず、ただ大騷ぎし合っているのを、あの事情を知っている者どうしは、ひどく物思いなさっていた様子を思い出すと、

「身をお投げになったのか」と思い寄るのであった。
 泣きながらこの手紙を開くと、
「とても気がかりなので、眠れなかったせいでしょうか、今夜は夢にさえゆっくりと見えません。何度も物に襲われた気持ちで、気分も普段と違って悪いのですが、やはりとても恐ろしく、あちらにお移りになる日は近いのですが、それまでこちらにお迎え申しましょう。今日は雨が降りそうでございますので」などとある。

昨夜のお返事を開いて見て、右近はひどく泣く。
「そうだったからこそ、心細いことを申し上げていらっしゃったのだ。私に、どうして少しもおしゃってくださらなかったのだろう。幼かった時から、少しも隔て申し上げることもなく、塵ほども隠しだてすることなくやって来たのに、最期の別れ道の時に、私を後に残して、そのそぶりさえお見せにならなかったのがつらいことだ」と思うと、足摺りということをして泣く有様は、幼い子供のようである。ひどくお悩みのご様子は、ずっと拝見して来たが、まったく、このように普通の人と違って大それたことを、お思いつきになるとは見えなかった方のお気持ちを、

「ほんとうに、どうなさったことか」と分からず悲しい。
 乳母は、かえって何も分からなくなって、ただ、「どうしよう。どうしよう」と言うだけなのであった。

 

《巻の名は、巻末の歌に拠ります。

 前の浮舟の巻末から一夜が明けて、宇治の邸は、浮舟の姿が見えなくなったと大騒ぎをしています。リアリズムの読者としては、あの厳重な警戒の中を姫が一人で誰の助けもなくどうやって抜け出すことができたのかと、不審な気もしますが、作者は、「物語の姫君」によくあるように、ということで、そのことは語らないままに、周囲の者たちの動きを語っていきます。

 さてその騒ぎの中、京の母君から、昨日の使いが帰って来ないということで、次の使者が「鶏が鳴く時刻に、出立」してやって来ました。母君としては昨夜のうちに帰ってきてほしかったようです。

 乳母が対応しますが、彼女には何の情報もありません。その陰で、右近と侍従が、ひょっとすると、という思いを抱きましたが、もちろん口にはしません。

 母君からの手紙を、主人がいないままに三人して開くと、そこには浮舟を自分のところにしばらく引き取ろうとありました。以前母君が最後に宇治に来た時に、浮舟が切に願ったことですが、その時は少将の妻の出産騒ぎがあるからと断っていた(浮舟の巻第五章第四段、第七段)ことで、それを覆してのことですから、その心配のほどが分かります。

こうした事件の背後にはしばしばこういう行き違いがあるもので、それによって悲劇性が増幅されます。

 三人は、あわせてそこに置いてあった浮舟の母宛の返書(前巻末)を開きます。すると、あの歌がありましたから、事の次第が明らかになります。

 右近の嘆きはひととおりではありません。昨日、主人の気持ちを汲んで、いいようにお決め下さい、後はなんとでもしますから、とまで言ったのに、本当の気持ちをついに言って下さらなくて、こんなふうに行っておしまいになるなんて、と悔しいやら悲しいやらで地摺り足摺りの嘆きです。

 乳母は、もう何が何やら分からない気がしてうろうろしているばかりです。

 ところで、「あの事情を知っている者どうし」つまり右近と侍従が、失踪のことが分かってすぐに具体的に「身をお投げになったのか」と「思い寄」ったというのは、本当はちょっと意外です。

二人は主人が悩んでいることはよく知っていましたが、その死を心配したことはありませんでしたし、元来、高貴の姫の自殺は考えにくかったものと『評釈』が言っていて(浮舟の巻第七章第二段)、浮舟が考え付いたのは、当時としては特殊なことだったようです。右近が話した彼女の姉も、事件後「東国の人となっ」たのであって自殺したわけではありません(同第六章第六段)。作者の中ですでに浮舟が「身をお投げになった」ことになっているので、そういう先回りが生じてしまったのでしょうか。あるいは、ここで二人にそう思わせることで、それを既成事実にしようということなのでしょうか。》

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