【現代語訳】

 寺へ使者をやっている間に、返事を書く。言いたいことはたくさんあるが、はばかられて、ただ、
「 のちにまたあひ見むことを思はなむこの世の夢に心まどはで

(来世で再びお会いすることを思って下さい、子を思うこの世の夢に迷わないで)」
 誦経の鐘の音が風に乗って聞こえて来るのを、じっと聞きながら臥していらっしゃる。
「 鐘の音の絶ゆるひびきに音をそへてわが世尽きぬと君に伝えよ

(鐘の消えて行く響きに泣き声を添えて、私の命も終わったと母上に伝えて下さい)」
 僧の所から持って来た誦経の報告の手紙に書き加えて、
「今夜は、とても帰ることはできません」と言うので、木の枝に結び付けて置いておいた。乳母が、
「妙に、胸騷ぎのすること。夢見が悪いとおっしゃっていた。夜番の者は、十分注意するように」などと言わせるのを、困ったと聞きながら臥していらっしゃった。
「何もお召し上がりにならないのは、とてもいけません。お湯漬けを」などといろいろと言うのを、

「よけいな世話をやいているが、とても醜く年とって、私が死んだら、どうするのだろう」とお思い遣りになるにつけても、とても不憫である。

「この世には生きていられないことを、それとなく言おう」などとお思いになるが、何より先に胸を突いて涙が溢れてくるのをお隠しになって、何もおっしゃれない。

右近は、お側近くに横になることにして、
「このように思いつめてばかりいらっしゃると、物思う人の魂は抜け出るものと言いますから、夢見も悪いのでしょう。どちらの方にとお決めになって、どうなるにもこうなるにも、思う通りになさってください」と溜息をつく。

柔らかくなった衣を顔に押し当てて、臥せっていらっしゃった、とか。

 

《使いの者は、母君に言いつかって来ているのでしょう、その足で寺に誦経を行わせに行きました。

 浮舟はその間に母への返事の歌をしたためるのですが、その歌がまた、大変分かりやすい決意の歌で、これを受け取った母親は折り返しでも急使をよこすのではないかと思われますが、幸いというか何というか、その使いは「今夜は、とても帰ることはできません」ということで、歌が届くのは明日になるようです。

 家の外は薫の言いつけによる警護が厳しく、内では乳母が胸騒ぎがすると言い、何があるか分からないままに宿直人に十分な注意をするようにと促し、女房たちはそれぞれがお世話にいろいろに気遣いをし、気を配っています。『竹取物語』のかぐや姫昇天の時が思い出されます。

 そうしたまわりの騒ぎをよそに、浮舟は決意と悲しみを胸に、臥せっています。

幼い時から献身的に世話をしてきてくれて、今も何の事情も知らないままに世話をしてくれる乳母の、自分がいなくなったその行く末を案じながら、何も告げない逝くことをすまなく思います。ここに至って彼女が乳母を思いやったのは、その愛情が純粋素朴な無償のものであったことを承知していることによるので、作者はそれが右近や侍従のそれとはまた別様の尊いものであったことを言っているのでしょう。二条院で匂宮がいきなり浮舟のところに入り込んで来て抱き寄せたときに、何もできないままに宮をにらみつけて姫を守ろうとした(東屋の巻第四章第五段)ことが思い出されます。

 「右近は常に主人中心の考え方を」(『評釈』)します。現実的に割り切って、どちらか一方の方をお選び下さい、後は私が好いように計らいますから、…。

 しかし、浮舟は、匂宮を選びたいという気持ちの一方で、薫を選ぶべきだという気持ち(それは単に道義的にだけではなく自身の生き方の希望としても、です)とが同じ重さの希望としてあって、しかもそういう二心がある自分に不倫理を感じているという複雑の中にいるのですから、言うべき言葉ありません。

 物語は、「柔らかくなった衣を顔に押し当てて、臥せって」いる浮舟の姿をアップで捉えて、そして「とか(いうことである)」と、ゆっくりとフェイド・アウトします。》

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