【現代語訳】

 宮は、たいそうな恨み言を言って寄こされた。今さらに、人が見るのではないかと思うので、このお返事をさえ、気持ちのままには書かない。
「 からをだに憂き世の中にとどめずはいづこをはかと君もうらみむ

(亡骸をさえ嫌なこの世に残さなかったら、どこを目当てにと、あなた様もお恨みに

なりましょう)」
とだけ書いて出した。

あちらの殿にも最後の様子をお知らせ申し上げたいが、

「お二方に書き残しては、親しいお間柄なので、いつかは聞き合わせなさろうことは、とても困ることだ。まるきり、どうなったのかと、誰からも分からないようにして死んでしまおう」と思い返す。
 京から母親のお手紙を持って来た。
「昨晩の夢に、とても縁起でもないふうにお見えになったので、誦経をあちこちの寺にさせるなどしましたが、そのまま、その夢の後眠られなかったせいか、たった今、昼寝をして見ました夢に、世間で不吉とするようなことがお現れになったので、目を覚ますなり差し上げます。十分に慎みなさい。
 人里離れたお住まいで、時々お立ち寄りになる方のご縁の方のお恨みがとても恐ろしく、具合が悪くいらっしゃるときに、夢がこのようなのを、いろいろと案じております。
 参上したいけれども、少将の北の方がやはりとても心配な様子で、物の怪めいて患っていますので、少しの間も離れることはいけないと、きつく言われていますので。そちらの寺にも御誦経をさせなさい」とあって、そのお布施の物や、手紙などを書き添えて、持って来た。最期と思っている命のことも知らないで、このように書き綴ってお寄越しになったのも、とても悲しいと思う。

 

《浮舟はすっかり心を決めてしまったようです。

 先にも言ったように、この人については幾度もその子供っぽさが語られてきました(第二段)が、ここでの匂宮の手紙への対応などを見ると、ずいぶん気丈で、また意志的な感じです。それほど彼女の苦悩が深く彼女自身を変えたということでしょうか。一方でまた、それ自体が彼女の純粋さ(それはあるいは「子供っぽさ」)を表しているとも思われますし、さらにはこれまでは秘められていた東国育ちによる気性も考えてもいいのかも知れません。

 宮への返事は、ただ歌一首だけでした。ちょっと意図のわかりにくい歌に見えますが、今はこうして私をお恨みになりますが、私が姿を隠して死んでしまえば、それきりもうあなたは私をお思い出しになることもないのでしょうと、恨みには恨みをという、恋歌のやりとりにはよく見る丁々発止の体裁の中に、実は今生の別れの悲しみを込めた歌、という理解でいいでしょうか。

 宮はその体裁に惑わされて、この人が本気で死を覚悟しているなどとは思いもよらなかった、ということなのでしょうか、格別の反応は語られないままです。

薫にはついに何も書き送らないつもりのようです。『評釈』は「匂宮と二人、自分があとに書き残したものを出しあって、見あうことになるのを恐れるのだ」と言います。確かに、二人の間で話題になることは仕方がないにしても、お互いに手紙を見せ合っての話では、つらいものがありそうです。

そしてまた、自分の裏切りに気付いているらしい(第六章第五段)薫への手紙は、二心を認めるわけにいかない(同第六段1節)以上、書きにくいものでもあったでしょう。

 母から手紙が届きました。彼女は娘の苦悩についてはまったく何も知らないままに、夢見が悪く不吉で心配している、祈祷して自重しなさい、と言って来たのでした。もちろん、もうすぐ上京できるといういいことがあるのだから、という期待からの激励の気持でもあるでしょう。浮舟が母に先立つことをつらく思っているので、彼女の魂が体から抜け出して母のところに行った、ということでしょうか。

「母さえこの宇治に来てくれたら、母のふところに顔をうずめて、思い切り泣くこともできように、運命のわかれ道は、こうしたところにある。…作者は、この時期に、母を京から離れえないように、少将の妻の妊娠を発表しておいた」(『評釈』)のです。》

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