【現代語訳】

 二十日過ぎにもなった。あの家の主人が、二十八日に下向する予定である。宮は、
「その夜にきっと迎えよう。下人などに様子を気づかれないように注意しなさい。こちらの方からは、絶対漏れることはない。疑いなさるな」などとおっしゃる。

「そうして、無理をしておいでになったとしても、もう一度お話し申し上げることができず、お目にかかれぬままお帰し申し上げることよ。また、束の間でも、どうしてここにお通し申し上げることができよう。効なく恨んでお帰りになるだろう」その様子を想像すると、いつものように、面影が離れず、我慢できず悲しくて、このお手紙を顔に押し当てて、しばらくの間は我慢していたが、とてもひどくお泣きになる。
 右近は、
「姫様、このようなご様子は、終いには周囲の人もお気づき申しましょう。だんだんと、変だなどと思う女房がございますようです。このようにくよくよなさらずに、よろしいようにご返事申し上げなさいませ。右近がおります限りは、大それたこともうまく処理いたしますから、これほどお小さい身体一つぐらいは、空からお連れ申し上げなさいましょう」と言う。しばし涙をおさめて、
「このようにばかり言うのが、とてもつらい。そうなってもよいことと思っているならともかくも、あってはならないことだとよく分かっているのに、困ったことに、ただこのように頼りにしているようにおっしゃるので、どのようなことをなさるおつもりなのかなどと、思うにつけても、我が身がとてもつらいのです」と言って、お返事も差し上げないでしまわれた。

 

《匂宮が浮舟のために心積もりした家の主人がいよいよこの月の二十八日に任国に発つ(第五章第三段)ことになって、匂宮から「その夜にきっと迎えよう」と言ってきました。薫からは来月十日に迎えると言って来ています(同第四段)。

 とうとう事が動くことになります。

 しかし、薫の監視は厳しくて、匂宮はここまでは来られないだろう、もう二度とお話ししたりお会いすることはできないかもしれない、そして宮は私を恨んでお帰りになるのだろう、そう思うと切なさがこみあげてきます。

 右近は、主人の思いは結局宮にあるのだと分かって、「よろしいようにご返事申し上げなさいませ」、後は私が何とでも取り計らいましょうと、なかなか健気な立派な進言をします。

 しかし浮舟は、宮に付いて行くのは「あってはならないことだ、とよく分かっている」ので、それはできないと言います。彼女は、なによりもまずそういうことをする自分は、倫理的に許せないと言うのです。

それなのに、宮様は、まるで私がお頼みしているとでもお思いのように、何としても連れ出そうとしていらっしゃるようで、家の周りの薫様の手勢との間に大変なことが起こりはしないか、そんなことになったらすべては私の責任だと思うと「我が身がとてもつらいのです」、…。

このまま生きていれば、自分は二心を持った怪しからぬ女になってしまう、それでもいいと宮の迎えを受ければ、大変な事件が起こってしまうだろう、いっそ私が死んでしまえば、そういう二つの悪いことがどちらもなくなってしまうのだ、と彼女は考えてしまったようです。そう思いながらなお、宮に会いたい気持ちは切なく湧き上ります。

結局返事は出さないままになりました。》

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