【現代語訳】

「まあ、いやなこと。帝のお姫様をお持ちになっていらっしゃる方ですが、関わりのないことで、良くとも悪くてもしかたのないことと、恐れ多いことながら、存じております。もしも好くない事件を引き起こしなさるようなことがあったら、まったくわが身にとっては悲しく大変なことだと思い申し上げるにしても、二度とお世話しないでしょう」などと話し合っていることに、ますます胸も潰れる思いがする。

「やはり、死んでしまおう。最後は聞きにくいことがきっと出て来ることだろう」と思い続けていると、この川の水音が恐ろしそうに響いて流れて行くのを、
「こんな恐ろしくない流れもありますのにね。又となく荒々しい川の所に、歳月をお過ごしになるのを、不憫とお思いになるのも当然のことで」などと、母君は得意顔で言っていた。昔からこの川の早くて恐ろしいことを話して、
「最近、渡守の孫の小さい子が、棹を差し損ねて川に落ちてしまったのですよ。ぜんたい命を落とす人が多い川でございます」と、女房も話し合っていた。女君は、
「それにしても、わが身の行く方が分からなくなったら、誰も彼もが、あっけなく悲しいと、しばらくの間はお思いになるであろうが、生き永らえて物笑いになって嫌な思いをするのは、いつその物思いがなくなるというのだろう」と考えてくると、何の支障もないようにさっぱりと何事も思われるが、また考え直すと実に悲しい。

母親がいろいろと心配して話している様子に、寝たふうをしながらつくづくと思い心乱れている。

 

《弁は、先日匂宮が二度も宇治に来たことはもちろん、二条院での出来事もおそらく知らないでしょうから、彼が好色であるということも、半分からかい気味にただの話として「にっこりして」話した(前段)のでしょうが、母君の方は二条院での出来事を知っています(東屋の巻第五章第一段)から、そんなに穏やかではいられません。

 薫様は、「帝のお姫様をお持ち」で、この娘はせいぜい第二夫人だろうが、もともと比べようのない身分なのだから、お世話をいただくことにさえなれば、その後は大事にされても、そうでなくても、それはしかたのないことと言います。もともとこの人は「天の川を渡ってでも、このような彦星の光を待ち受けさせたい」(東屋の巻第三章第五段)と思っていたのです。

 しかし、匂宮との間に関係ができることは(これが前の薫の話とどうつながるのか、ちょっと分かりにくいのですが。いや、逆になぜ薫の話から始めたのかということの方が分かりにくいと言うべきですか、ともあれ)、宮が中の宮の夫君であることもあって、絶対に許せないことです。そのことにご注意をという弁の話に、思わず口調が激しくなりました。「二度とお世話しないでしょう」は、原文が「また見たてまつらざらまし」で、二度と顔も見たくないという意味にもなりそうです。

 寝たふりをして聞いていた浮舟にしてみれば、自分の胸の中を直に指さして咎められたような気がします。と言って、今や匂宮の姿は、その胸から消えるものではありません。

 自分の心の乱れの苦しさに、「母親のもとにしばらく出かけていたら、思案する時間があろう」(第四段)と頼りに思っていた母からの絶縁状が加わって、進退窮まった気がした彼女の心に「死ぬこと」が浮かびます。

 折しも聞こえてきた宇治川の激しい水音(何もこの時急に流れ出したというわけではないでしょうが、風の向きでも変わったのでしょうか、あるいは母君の激しい言葉に一座の一瞬の沈黙が生まれたのでしょうか)に、母君は娘を案じて、こんな恐ろしいところに長いこと娘を置いて、と文句を言いながら、都に迎えられることなったことを喜びます。

 それを受けて女房の一人が、最近流れに落ちて死んだ子供がいると話すものですから、浮舟の中で死ぬことが一気に現実味を帯びてきてしまったのでした。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ