【現代語訳】

 あの方のご様子にもますます大変だとお思いになったので、あきれるほどの算段をしてお出かけになった。京では「友待つ(後から降る雪を待ち顔に消え残っている)」というほどの雪が、山深く入って行くにつれて、だんだんと深く積もって道を埋めていた。いつもより難儀な、人影も稀な細道を分け入っておいでになるときは、お供の人も泣き出したいほど恐ろしく、厄介なことが起こる場合まで心配する。

案内役の大内記は式部少輔を兼官していた。どちらの官も重々しくしていなければならない官職であるが、とても似合わしく指貫の裾を引き上げたりしている姿はおかしかった。
 あちらでは、いらっしゃるという知らせはあったが、

「このような雪ではまさか」と気を許していたところに、夜が更けてから右近に到着の旨を伝えた。

「なんとまあ深いお志」と、女君までが感動した。右近は、

「どのようになっておしまいになるお身の上であろうか」と、一方では心配だが、今夜は人目を憚る気持ちも忘れてしまいそうだ。お断りするすべもないので、同じように親しくお思いになっている若い女房で、思慮も浅くない者と相談して、
「大変に困りましたこと。心を合わせて、秘密にしてください」と言ったのであった。

一緒になってお入れ申し上げる。道中で雪にお濡れになった薫物の香りが、あたりせましと匂うのも、困ってしまいそうだが、あの方のご様子に似せて、ごまかしたのであった。

 

《作文の会の折の、薫の「衣かたしき」と口ずさんでいた心の深さに加えて、彼の「少し老成した態度や心配りなどは、特別に作り出したような、上品な男の手本」という貴公子ぶりに、匂宮は「ますます大変だとお思いになっ」て、すっかり自信を無くして心配になって来ました。

 彼は意を決して、再び宇治に実力行使に向かうことにします。

 しかし思い立って出てはきたものの、道中はこれまでにも増して難儀な雪の細道、都の優雅な暮らしから出てきた匂宮はもちろん、多少のことには慣れているはずの「お供の人も泣き出したいほど」で、おまけに前回匂宮が嘘として語った盗賊の心配までしなくてはなりません。

 すっかり案内として定着させられた内記は、学者としてしかつめらしく宮仕えをする身なのに、後の出世のことを考えれば、今はその役廻りに相応しく「指貫の裾を引き上げたりして」懸命の奉仕です。

 迎えた浮舟の側はよもやの訪れに驚くやら嬉しいやら、また薫のことを思えばこんなふうなことを受けていて末には「どのようになっておしまいになるお身の上であろうか」という心配やらもあるのですが、もちろんお断りなどできるはずもなく、また浮舟ご本人が「なんとまあ深いお志(原文・あさましうあはれ)」と心を打たれているとあって、迎えるしかありません。

 しかしあくまでも秘密のこと、周囲には薫の訪れということにしなくてはなりませんから、右近はそこを手抜かりなく、対応は自分と信頼できる女房一人、宮の匂いは薫のものということにして、万事の手配をします。

 ところで、ここに出てくる「若い女房」は次の段では「侍従」と呼ばれていて、薫が浮舟を宇治に連れて来た時に(東屋の巻第六章第五段)車に同乗した人のようですが、以後、右近とともに物語の中で大きな役割を担うことになります。ちょっと先回りになりますが、この二人について、『講座』所収「浮舟物語の家司・女房たちの役割」(沢田正子著)が「通常二人の女房といえばどちらも似たようなもので、双方の登場場面を入れ替えてもほぼ通用することが多いが、ここでは二人の個性、性情が描き分けられ、役割分担も明らかであり、まったく別の人格として造形されている」と語っていて、読むにつれてなるほどと思われます。

 なお同書は前の匂宮来訪の後、「右近はなぜ早急に乳母や母君に事実を告げ大人たちの知恵を借りようとしなかったのか」という疑問を呈しています。確かにそうしていればあるいは今回のこのことはなかったのかも知れないのですが、同書自身が言うように、あの時「右近は自らの過失(宮を薫と誤ったこと)に気を取られ、女君の運命の行くえを見失っていた」ということなのでしょう。

こうしていったん自分で引き受けてしまった過失の後始末は、次々に彼女に新たな糊塗を求めていくようになります。》

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