【現代語訳】

 ここにあった琴や、箏の琴を召し出して、

「このような事は、またいっそうできないだろう」と残念なので、独りで奏でて、
「宮がお亡くなりになって以後、ここでこのような物に、ずいぶん久しく手を触れなかった」と珍しく自分ながら思われて、たいそう大事そうに弄びながら物思いに耽っていらっしゃると、月が出た。
「宮のお琴の音色が仰々しくはなくて、とても美しくしみじみとお弾きになったなあ」とお思い出しになって、  

「昔、皆が生きていらっしゃった時に、ここで大きくおなりになっていたら、もっと感慨は深いでしょうに。親王のご様子は、他人の私でさえ、しみじみと恋しく思い出され申します。どうして、そのような場所に長年おられたのですか」とおっしゃると、とても恥ずかしくて、白い扇を弄びながら、物に寄り臥していらっしゃる横顔は、とてもどこまでも色白で、優美な額髪の間などは、まことによく思い出されて感慨深い。いっそう、

「このようなこともふさわしく教えたい」とお思いになって、
「これは、少しお弾きになったことがありますか。『ああ、吾が妻』という和琴は、それでも弾き慣れていらっしゃったでしょう」などとお尋ねになる。
その和歌でさえ、不似合いに育ちましたのにましてこれは」と言う。まったく見苦しく気がきかないようには見えない。ここに置いて、思い通りに通って来られないことをお思いになるのが、今からつらいのは、並一通りにはお思いでないのだろう。

琴は押しやって、「楚王の台の上の夜の琴の声」と朗誦なさるのも、あの弓を引くばかりの所に住み馴れて、

「とても素晴らしく、申し分ない」と、侍従も聞いているのであった。

一方では、扇の色も心を配らねばならない閨の故事を知らないので、一途にお誉め申し上げているのは、心得がないことである。

「事もあろうに、変な詩句を口にしてしまったなあ」とお思いになる。
 尼君のもとから、果物を差し上げた。箱の蓋に、紅葉や蔦などを折り敷いて、風流にとりまぜて、敷いてある紙に、不器用に書いてあるものが明るい月の光にふと見えたので、目を止めなさったので、果物を欲しがっているように見えた。
「 やどり木は色かはりぬる秋なれどむかしおぼえて澄める月かな

(宿木は色が変わってしまった秋ですが、昔が思い出される澄んだ月ですこと)」
と古風に書いてあるのを、きまり悪くもしみじみともお思いになって、
「 里の名もむかしながらに見し人のおもがはりせるねやの月かげ

(里の名も私も宇治(憂し)という昔のままですが、昔の人が面変わりしたかと思わ

れる閨の月の光です)」
 特に返歌というわけではなくおっしゃったのを、侍従が伝えたとか。

 

《薫は浮舟と二人のいい時間を過ごしたく思って、「ここにあった琴や、箏の琴を召し出し」ました。いずれも八の宮の残した名品です。相手が大君であれば、これを一緒に奏でて、宮の思い出も語りながら、どれほど豊かでしめやかな時が得られたことでしょう。しかし浮舟にその素養は望むべくもなく、薫は初めから聞きもしないで、独りで奏でて、独りで感慨にふけります。折よく月が出ましたが、それを二人で眺めることもなしに、「ここで大きくおなりになっていたら」と、あらぬことを話しかけます。

 どうして東国などにそだったのか、と尋ねられて、浮舟は恥ずかしさに返事に窮します。その横顔はこの上なくと言えるほど美しく、大君に似てもいるのですが、和琴くらいはと尋ねても「その和歌(『ああ、吾が妻(原文・あはれわがつま)』・和琴を「あづま琴」というので、薫はそういう言い方をしたようです)でさえ、不似合いに育ちましたのに」という返事で、会話が全く続かないという案配です。

薫は仕方なく「琴は押しやって」詩を吟じます。その詩句の前の句は「班女が閨の中の秋の扇の色」で、さっき自分が琴を弾き、浮舟が「白い扇を弄」んでいたことから、思い浮かんだものです。

しかし実は、美しい「白い扇」は、夏には大事にされながら、秋には忘れられると、「寵の衰えを嘆く詩」(『怨歌行』)に歌われたもので、この場には決して相応しいものではなかったのでした。それを薫は思わず口にしてしまったのでしたが、それに気づくものは誰もおらず、みな「一途にお誉め申し上げてい」て、薫一人が胸のうちで「変な詩句を口にしてしまったなあ」と思うばかりです。

薫は浮舟に大君の姿を追い求めているのですが、顔立ちこそ似ているものの、その内面に大君に通う何ものもなく、どうやら作者は、薫と浮舟の間に超えられないような深い溝があるのだと言いたいようです。

弁の尼がかろうじて場を取り結びます。出された果物の間に添えられた弁の歌を覗き込む薫を、「果物を欲しがっているように見えた」と諧謔を添えておいて、ちょうど一年前の訪れに浮舟の話をした時(宿木の巻第七章第四段)とお気持ちは少しも変わらないでいらっしゃるのですね、と、その歌を紹介します。「月」は薫、「やどり木」は宇治の地、あるいは弁自身ということでしょうか。もっとも『集成』は「上の句、大君から浮舟に変わったことを暗に言」う、とします。

薫は、世を「憂し」と思っている私は昔のままだが、「閨の月の光」に見る人は、別の人であることだと、ひとりつぶやくばかりだったのでした。

どうも、幼くして都から東国に下り、はるばると上京しても、三条の隠れ家に追われ、今またさらわれるように宇治にやって来たのでしたが、ここも浮舟にとって、安住の地とも行かないようで、次から改めて彼女の物語が始まります。》

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