【現代語訳】

「近い所にか」と思うと、宇治へいらっしゃるのだった。牛なども取り替える準備をなさっていた。加茂の河原を過ぎ、法性寺の付近をお通りになるころに、夜はすっかり明けた。
 若い女房は、ほんのちょっと拝見して、お誉め申して、無性にお慕い申し上げるので、世間を憚る気にもならない。女君はとても驚いて、何も考えられずうつ伏しているのを、
大きな石のある道は、つらいものだ」と言って、抱いていらっしゃった。

薄物の細長を車の中に垂れて仕切っていたので、明るく照らし出した朝日の光に、尼君はとても恥ずかしく思われるにつけて、

「故姫君のお供をして、このように拝見したかったものだ。長生きすると、思いもかけないことにあうものだ」と悲しく思われて、抑えようとするがつい顔がゆがんで泣くのを、侍従はとても憎らしく、

「ご結婚早々に尼姿で乗り添っているだけでも不吉に思うのに、何で、こうしてめそめそするのか」と、憎らしく愚かしいとも思う。年老いた人は何でもないことに涙もろいものだ、と簡単に考えるのであった。
 君も、目の前の女を愛しく思わぬではないが、空の様子につけても昔の恋しさがつのって、山深く入って行くにしたがって、霧が立ち渡ってくる気がなさる。物思いに耽って寄り掛かっていらっしゃる袖が、重なりながら長々と外に出ているのが川霧に濡れて、お召し物の紅色にお直衣の花が大変に色変わりしているのを急坂の下る所で見つけて、引き入れなさる
「 形見ぞと見るにつけては朝霧のところせきまで濡るる袖かな

(姫君の形見だと思って見るにつけ、朝露がしとどに置くように涙に濡れることだ)」
と、ついうっかり独り言をおっしゃるのを聞いて、ますます袖をしぼるほどに尼君の袖も泣き濡れているのを、若い女房は、

「おかしな見苦しいことだ」と嬉しいはずの道中に、とてもやっかいな事が加わった気持ちがする。堪えきれない鼻水をすする音をお聞きになって、自分もこっそりと鼻をかんで、

「どのように思っているだろうか」と気の毒なので、
「長年、この道をいく度も行き来したことを思うと、何となく感慨無量な気持ちがします。少し起き上がって、この山の景色を御覧なさい。とてもふさぎこんでいますね」と、無理にお起こしになると、いい感じに顔を扇で隠して、恥ずかしそうに外を見い出しなさっている目もとなどは、とてもよく似て思い出されるが、おだやかであまりにおっとりとし過ぎているのが、頼りない気がする。

「とてもたいそう子供っぽかったが、思慮深くいらっしゃったな」と、やはり癒されない悲しみは、空しい大空いっぱいにもなってしまいそうである。

 

《弁の尼にお前がいなければ、と言ったのですから、読者は宇治と察しがつきますが、弁にしてみれば、よもやそんな遠くにはと思っていたのでしょうか、予想外だったようです。

 若い女房(侍従)は、一目で薫にうっとりしてしまって、うきうきしています。

 その薫は、思いもかけない展開に「何も考えられずうつ伏している」浮舟をしっかり抱き寄せています。そうするにも、「大きな石のある道は、つらいものだ」という理由をつけなくてはならないところが、生真面目な薫らしいのですが、そういう優しさも、またあっていい形です。

 弁の尼の方は、その二人の前で、「薄物の細長(貴婦人の上着)」を掛けて仕切られただけの室内では不吉な尼姿をさらすことになって、いたたまれない気持ちで、せめて相手が浮舟ではなく大君のこうした場面であったらと、涙顔ですが、それをまた、侍従は、薫と大君とのいきさつなど知る由もありませんから、この年寄りはただうろたえて泣いるのだと思って馬鹿にしています。

 と、ここまでのことを語っておいて、薫は、まだ浮舟よりも大君に心を残している、と言います。

薫は、宇治への見慣れた風景に包まれるにしたがって、「昔の恋しさがつのって」大君の印象が濃く浮かび上がってきます。「霧が立ち渡ってくる」というのは、彼の心の風景であるとともに、実景でもあって、その霧に袖がすっかり濡れていたと言いますが、霧のせいだけではないわけです。その袖に気づいて、「引き入れなさ」ったのは、彼がふと我に返ったことを言っているのでしょう。

しかしその時口をついて出たのは、浮舟が大君の「人形」に過ぎないのだと分かる歌だったのでした。薫の大君を思う気持ちに、弁の嘆きはいっそう深まります。

侍従には何のことかまるで分からず、ただ、何やら面倒なことになっているようだと思うばかりです。

薫は浮舟の気持ちを慮って、とりなすように、外の景色はいかがかと促します。この人は何も気づかないふうに、言われるまま体を起こして外を見るのですが、その横顔は大君に似てはいるものの、あまりに素直なだけで物足りず、またしても大君を偲ぶ思いになってしまいます。》

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