【現代語訳】

 少将の世話を、常陸介はこの上ないものに思って準備し、

「一緒に、不体裁にも、世話をしてくれない」と恨むのであった。

「とても不愉快で、この人のためにこのような厄介事が起こったのだ」と、この上ない大事な娘がこのようなことになったので、つらく情けなくて、少しも世話をしない。
 あの宮の御前でたいそうみっともなく見えたので、ひどく軽蔑してしまっていたので、

「秘蔵の婿にとお世話申し上げたい」などと思った気持ちも消えてしまっている。

「ここではどのように見えるであろうか。まだ気を許した姿は見えないが」と思って、くつろいでいらっしゃった昼頃、こちらの対に来て、物蔭から覗く。
 白い綾の柔らかい感じの下着に、紅梅色の打ち目なども美しいのを着て、端の方に前栽を見ようとして座っているのは、

どこが劣ろうか。とても美しいようだ」と見える。娘はとてもまだ幼なそうで、無心な様子で添い臥していた。宮の上が並んでいらっしゃったご様子を思い出すと、

「物足りない二人だわ」と見える。
 前にいる御達に何か冗談を言って、くつろいでいるのは、とても見たように見栄えがしなく貧相にも見えないのは、

「あの宮にいたのは、別の少将だったのだ」と思ったとたんに、こう言うではないか。
「兵部卿宮の萩が、やはり格別に美しかったなあ。どのようにしてあのような種ができたのであろうか。同じ萩ながら枝ぶりが実に優美であったよ。先日参上して、お出かけになるところだったので、折ることができずになってしまった。『ことだに惜しき(色が褪せることさえ惜しいのに)』と、宮が口ずさみなさったのを、若い女房たちに見せたならば」と言って、自分でも歌を詠んでいる。
「どんなものかしら。素養のほどを思うと人並みにも思えず、人前に出ては普段より見劣りがしていたのだが。どのように詠むのであろうか」と悪口を言いたくなるが、大して物の分からない様子には、そうはいっても見えないので、どのように詠むかと、試しに、
「 しめゆひし小萩がうへもまよはぬにいかなる露にうつる下葉ぞ

(囲いをしていた小萩の上葉は乱れもしないのに、どうした露で色が変わった下葉な

のでしょう)」
と言うと、気の毒に思われて、
「 宮城野の小萩のもとと知らませばつゆもこころをわかずぞあらまし

(宮城野の小萩と知っていたならば、決して心を分け隔てしなかったでしょうに)
 何とか自分自身で申し開きしたいものです」と言った。

 

《家では、常陸介が、北の方が勝手に出歩いていて、肝心の婿の世話を全くしてくれないことを怒っていました。彼女は、浮舟の今度の事件も、もとはといえば、この少将が介の娘に乗り換えたことから起こったのだという気持ちがあり、さらに「あの宮の御前でたいそう貧相に見えた」こともあって、夫がどれほど言っても、動かないで来たのです。

 「この上ない」が二度出てきますが、原文でもいずれも同じ「またなし」で、この夫婦のちぐはぐさを笑っている感じです。

 北の方は、その不届きでつまらない男が、ここではどんな様子でいるだろうかと、改めて軽蔑してやろうと、こちら(少将のいる西の対)をのぞき見しました。

すると、端近で庭を眺めているその男は、意外にも「どこが劣ろうか。とても美しいようだ」と思われる、いい男でした。もっとも、そこに「添い臥していた」娘との二人の姿は、二条院での匂宮と中の宮の姿を思い出すと、「物足りない(原文・口惜し)」と見えましたが、…。 

それでも、少将自身は、周りの女房に物を言っている様子が、やはりあの時のように貧相には見えません。何か見直す感じで、北の方が、そうか、「あの宮にいたのは、別の少将だったのだ(原文・かの宮なりしは、異少将なりけり)」と思った、ちょうどその時、その少将が「兵部卿宮(匂宮)の萩が…」と、話すのが聞こえたのでした。

とすると、やはりあの場にいたわけで、紛れもなくこの少将だったのだと納得せざるを得ません。

 それも、萩の枝ぶりに感じ入ったというなかなか洒落た話で、おまけにそこで女房たちに歌を披露までしている様子です。

 北の方はじっとしていられなくなりました。我が娘にあのように非道なことをしておき、あの二条院ではあのように這いつくばっていたくせに、何を偉そうに…。

 彼女はその歌がどれほどのものか試してみようと考え、詠み掛けました。私の娘はお前との縁談の前も後も変わりはないのに、お前はどういう料簡で心変わりをしたのかえ。

 少将は答えました。宮様の娘子と知っていれば、あんなことはしませんでしたのに、それを話してくれない仲人が、そしてあなたが悪いのですよ…。

 この少将は、浮舟が「宮城野の小萩」、宮様の子であることを知っているようです。婿入りしてから、この家の女房にでも聞いたのでしょう。彼がそれを知ったときにどう思ったのか、ちょっと興味がありますが、しまったとでも思ったでしょうか。いや、現実的な彼のことですから、落ちぶれた宮様の娘よりも、やはり金持ちの受領の娘の方がいいと思ったような気がします。すると、この返事は、とりあえず歌の上で敬意を払ってみせただけとなります。

「この返歌は、まず合格」と『評釈』は言います。当たり障りなく、さらりと応じた、という点を評価しているのでしょう。》

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