【現代語訳】

 このような方違えの場所と思って、小さい家を準備していたのであった。三条近辺に、しゃれた家が、まだ造りかけのところなので、これといった設備もできていなかった。
「ああ、あなた一人を十分にお世話できないことよ。思い通りにいかない世の中では、長生きなんかするものではないですね。自分一人なら、何も考えずに、身分もなく人数に入らないで、ただそういうふうに引っ込んで過ごせもしよう。こちらのご親戚筋はひどいとお思い申し上げた方なのに、お近づき申し上げて不都合なことが出てきたら、大変に物笑いなことだろう。つまらないことだ。粗末な家であるけれども、この家を誰にも知らせず、隠れていらっしゃい。そのうち何とかうまくして上げましょう」と言い置いて、自分自身は帰ろうとする。

姫君は泣いて、

「生きているのも肩身の狭い思いだ」と沈んでいらっしゃる様子は、とても気の毒である。

母親は母親で、それ以上に惜しくも残念なので、何の支障もなくて思う通りに縁づけてやりたいと思い、あの体裁の悪き事件によって、人からいかにも軽薄に思われたり言われたりするのが、気になってならないのであった。
 思慮が浅いというのではない人で、やや腹を立てやすくて、気持ちのままに行動するところが少しあったのだった。あの家でも隠して置けたであろうが、そのように引っ込ませておくのを気の毒に思ってこのようにお世話するのだが、今までずっと側を離れず、毎日一緒にいたので、互いに心細く堪え難く思っていた。
 「ここは、まだこうして造作が整っていず、危なっかしい所のようです。用心しなさい。あちこちの部屋にある道具類を、持ち出してお使いなさい。宿直人のことなどを言いつけてありますが、とても気がかりですけれども、あちらに怒られ恨まれるのが、とても困るので」と、泣きながら帰る。

 

《浮舟を連れて帰った北の方は、すぐそのまま、「三条近辺に、しゃれた家」を造りかけていて、そこに住まわせることにしました。三条には六の君もいますし、二条院も、三条に住む薫が中の宮に「朝夕の区別もなくお訪ねできそうに存じられます近さ」と言っていた(早蕨の巻第二章第四段)くらいですから、隠すというにはちょっと近すぎるのではないかという気がしますが、贅沢を言える状況ではないかもしれません。

 「ああ、あなた一人を(原文・あはれこの御身ひとつを)…」は北の方の思いですが、途中、「こちらのご親戚筋(中の宮)は…」あたりから浮舟に語りかける言葉になっていて、ちょっと変な形です。

 ともあれ、北の方は娘をそこに「隠れていらっしゃい」と言い置いて帰ろうとします。

 浮舟は母の言葉に「生きているのも肩身の狭い思いだ」と悲しくなって泣いてしまいました。

 「思慮が浅いというのではない人で、…」と北の方の新しい、以前、少将が鞍替えした時の対応(第二章第一段2節)とはでずいぶん違った、ちょっと思いがけない人柄が、ここで急に出てきます。マイナス評価の部分という感じで、浮舟を二条院からここに移したことは早計だったと言っているように聞こえます。

 母親としては、父のいない子でもあり、逆に自慢の娘でもあるので、匂宮によって傷物にされたような気がして「人からいかにも軽薄に思われたり言われたりする」ことになるとしたら「惜しくも残念なので」、ともかく早く人目からしばらく離しておこうという気持ちでの措置だったのです。

 ここに置いたことで、この後特によくないことがあったというわけでもありませんから、作者としては、二条院のような素晴らしいところから、即断即決、中の宮にも有無を言わさず引き下がらせてきたことについて、もったいないと思う当時の読者に対しての弁明かも知れません。二条院にいたままでは、次の薫の行動が困難になるのですから。

 しかし、連れてはきたものの、「あちら(介)に怒られ恨まれるのが、とても困るので」自分は帰らねばならず、一方で「今までずっと側を離れず、毎日一緒にいたので、お互いに心細く堪え難」い思いです。》

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