【現代語訳】

 恐ろしい夢が覚めたような気がして、汗にびっしょり濡れてお臥せりになっている。乳母が扇ぎなどして、
「このようなお住まいは、何かにつけて遠慮されて不便だったことです。こうして一度お会いなさっては、今後、好いことはございますまい。ああ恐ろしい。この上ない方と申し上げても、穏やかならぬお振る舞いは、本当に困ったことです。
 他の人で縁故のないような人なら好いとも悪いとも思っていただきましょうが、外聞も体裁悪いことと思いまして、降魔の相をしてじっと睨み続け申したので、とても気味悪く下衆っぽい女とお思いになって、手をひどくおつねりになったのは、普通の人の懸想めいて、とてもおかしくも思われました。
 あちらの邸では、今日もひどく喧嘩をなさいましたそうです。『ただお一方のお身の上をお世話するといって、自分の娘を放りっぱなしになさって、客人がおいでになっている時のご外泊は見苦しい』と、荒々しいまでに非難申し上げなさっていました。下人までが聞いて同情申していました。
 全体、この少将の君がとてもいけすかない方と思われなさいます。あの事がございませんでしたら、内輪で穏やかでない厄介な事が時々ございましても、穏便に今までの状態でいらっしゃることができましたものを」などと、泣きながら話す。
 君は、ただ今は何もかも考えることができず、ただひどくいたたまれず、これまでに経験したこともないような目に遭った上に、

「どのようにお思いになっているだろう」と思うと、つらいので、うつ臥してお泣きになる。とてもおいたわしいとなだめかねて、
「どうしてそんなふうにお考えになるのです。母親がいらっしゃらない人こそ、頼りなく悲しいことでしょう。世間から見ると、父親のいない人はとても残念ですが、意地悪な継母に憎まれるよりは、この方がとても気が楽です。何とかして差し上げましょう。くよくよなさいますな。
 いくらなんでも初瀬の観音がいらっしゃるので、お気の毒とお思い申し上げなさるでしょう。旅馴れないお身の上なのに、度々参詣なさることは、人がこのように侮りがちにお思い申し上げているのを、こんなであったのだ、と思うほどのご幸運がありますように、と念じているのです。わが姫君さまは、物笑いになって、終わりなさるでしょうか」と、何の心配もないように言っていた。

 

《九死に一生を得た思いの浮舟は、「汗にびっしょり濡れてお臥せりになって」います。それを見ながら乳母は、一度目をつけられた以上は、ここにいて次は逃れられないだろう、こんなところはこりごりと、他に移ることを考えます。

 相手が「他の人で縁故のないような人なら」、気に入っていただければ、縁もあろうかと思いますが、姉に当たる中の宮の夫君とあっては、「外聞も体裁悪いこと」なのです。

 と言って、しかし元の家に帰ろうとしても、今やそこでは介が、北の方の浮舟への肩入れが過ぎると「今日もひどく喧嘩をなさ」る有様、おまけに「いけすかない」少将の君もいて、とても帰れる状況ではありません。あの少将の縁談さえなければ、多少窮屈でも、「穏便に今までの状態でいらっしゃることができ」たものをと、改めて悔しく思い起こされます。

 一方浮舟は、あの憧れの中の宮(第三章第六段)が「どのようにお思いになっているだろう」と思うと、恥ずかしいやら申し訳ないやらで、ただもう涙です。

 乳母が懸命に慰めます。『評釈』が「どんな場合にも、なぐさめる言葉を見つけ出すのが乳母だ」と言いますが、ここでも、「意地悪な継母に憎まれるよりは」は、幼いころに自分が語り聞かせた話からの流れのようでもあり、「初瀬の観音」のご利益についても、「旅馴れないお身の上なのに、度々参詣なさ」ったことを挙げるなどは、彼女のその折の苦労を身近に知っているから出てくる話で、それぞれに、幼いころからぴったりと寄り添って来た乳母でなくては言えない言葉のように思われます。

 そう言えば、少将の君との話が破談になったときに、北の方を慰めた言葉もなかなかきちんとしたものだったことが思い出されます(第二章第一段)。

 その一方では、匂宮に立ち向かって「とても気持ち悪く下衆っぽい女とお思いにな」ることも顧みず、「降魔の相をしてじっと睨み続け」るという献身的で気丈なところもあって、こういう危急の時にその値打ちがよく表れたのだという気がします。

 ところで、その折、匂宮が「手をひどくおつねりになった」というのが、何とも意外な振る舞いです。「普通の人の懸想めいて」と言いますから、よくある振る舞いなのでしょうが、乳母とは違った意味で、「おかしく思われ」ます。

 ともあれ、取りあえずは台風一過、一段落のようです。》

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