【現代語訳】
まあ、恐ろしいこと。人の言うことを聞くと、長年、並大抵の人とは結婚したくないとおっしゃって、右の大殿や按察使大納言、式部卿宮などが、とても熱心にお申し込みなさったけれど、聞き流して、帝が大切にしている姫宮をおもらいになった君は、どれほどの人を熱心にお思いになりましょうか。あの母宮などのお側におかせて、時々は会おうとはお思いになろうが、それもまた、なるほど結構なお所ですが、とても胸の痛いことです。

宮の上が、あのように幸い人と申し上げるようだが、物思いがちにいらっしゃるのを見ると、いかにもいかにも、二心のない人だけが、安心で信頼できることでしょう。自分の体験でも分かりました。
 故宮のご様子は、とても情愛があって、素晴らしく好感が持てるお方でしたが、人並みにもお思いくださらなかったので、どんなにか残念でつらい思いをしたことです。この介はまことに取るに足らない、情けない、不恰好な人ですが、一途で二心のないのを見ると、気を揉むこともなく何年も過ごしてきたのです。
 折々の仕打ちが、あのように癪な思いやりのないのが憎らしいけれども、嘆かわしく恨めしいこともなく、お互いに言い合っても、納得できないことははっきりさせてきました。上達部や、親王方で、優雅で気後れするような立派な方の所といっても、私のように一人前でない身分では詮のないことでしょう。
 万事が、わが身分からであった思うと、何もかも悲しく見申し上げます。何とかして、物笑いにならないようにして差し上げたい」と相談する。

 

《乳母の提案に北の方はとんでもない話と打ち消します。

 あの薫様のことを知らないのですか、帝の姫宮以外には見向きもなさらなかったあの方が、どうして私の娘如きをまじめにお考えになることがあるでしょうか、母上・女三宮さまのお傍にでも置かれるつもりかも知れませんが、「女房扱いの、かりそめのお相手ではたまらない」(『集成』)ことです。それではまるで、八の宮様の時の私の二の舞ではありませんか。

 「宮の上」(中の宮)は、世間では「幸い人」と呼ぶようだけれども、いまは「物思いがちにいらっしゃる」そうで、身分違いは、決していいことはありません。

 女にとって夫とする人は、身分の高さに惹かれてはなりません、大事なのは「二心のない」ことなのです、…。

 その後が、驚きです。「この介はまことに取るに足らない、情けない、不恰好な人ですが、一途で二心のない」人で、「折々の仕打ちが、あのように癪な思いやりのないのが憎らしいけれども、…お互いに言い合っても、納得できないことははっきりさせてきました」…。

 実に賢い人です。彼女は、ちょっと大げさに言えば、例えば小林秀雄が『平家物語』の登場人物について「彼等の涙がどんなに鹽辛いか」を「理解」した(『無常といふ事』)ように、夫の介を根元のところで理解しているようです。

 介は、粗野で思慮浅く人が好いだけの男のようですが、そういう外面的なことを通り抜けて、根のところにある、妻に対する真っすぐな二心の無さを捉えて、それを信じているのです。

 もっとも、それはしばしば、今回の縁談のように、夫の身勝手な独断に耐えることを強いられます(第一章第八段)が、逆に言えば、その信頼(諦念かも知れません)があるからこそ、一段高いところから夫のそれを許すことができるのだ、とも言えます。

 そしてそれは、あの紫の上もたどり着くことのなかった心境です。彼女は、最後まで源氏とのみずみずしい愛の世界に生きたいという世界から離れることはありませんでした(御法の巻第一章第五段)。

 今、作者は、一介の国守をかの光源氏と肩を並べさせて、女性の幸福という天秤に乗せてみているのでしょう。それは女性にとって男性の「二心」がどれほど不安なものであるかを物語ってもいます。》

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