【現代語訳】

夜の更けるにしたがって、管弦の御遊はたいそう興趣深い。大将の君が「安名尊」をお謡いになった声は、この上なく素晴しかった。按察使大納言も、若い時にすぐれていらっしゃったお声が残っていて、今でもたいそう堂々としていて、合唱なさった。右の大殿の七郎君が、子供で笙の笛を吹く。たいそうかわいらしかったので、御衣を御下賜になる。大臣が庭に下りて拝舞なさる。
 暁が近くなってお帰りあそばした。禄などを、上達部や親王方には、主上から御下賜になる。殿上人や楽所の人びとには、宮の御方から身分に応じてお与えになった。
 その夜に、宮をご退出させ申し上げなさった。その儀式はまことに格別である。主上つきの女房全員にお供をおさせになった。庇のお車で、庇のない糸毛車三台、黄金造り金具で飾った車六台、普通の檳榔毛の車二十台、網代車二台、童女と下仕人を八人ずつ伺候させていたが、またさらにお迎えの何台もの出だし車に本邸の女房たちを乗せてあった。お送りの上達部、殿上人、六位など、何ともいいようなく善美を尽くさせていらっしゃった。
 こうして、寛いで拝見なさると、まことに立派でいらっしゃる。小柄で上品でしっとりとして、ここが足らないと見えるところもなくいらっしゃるので、

「運命も悪くはなかったのだ」と、心中得意におなりになるが、亡くなった姫君が忘れられればよいのだが、やはり気持ちの紛れる時なく、そればかりが恋しく思い出されるので、
「この世では慰めきれないことのようだ。仏の悟りを得てこそ、不思議でつらかった二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」と思いながら、寺の造営にばかり心を注いでいらっしゃった。

 

《藤の宴はまだ続いています。前段の歌は語り手の気に入らなかったようですが、ここでの管絃の遊びは「この上なく素晴しかった」ようです。

 その宴は「暁が近くなって」終わり、「その夜に」、つまりその日一日を藤壺で過ごして、夜になってから、女二宮は退出して三条邸に移りました。その行列は、「庇のお車」の宮にお供の三十一台の車プラスお迎えの「何台もの」車(原文・出車ども)が従うという、大変に賑々しいものでした。これに警護のものが加われば、どんな行列かちょっと想像しにくくなります。

当節、祭りに地区ごとの山車を競うものが多いようですが、四十台という数はそうそうないでしょう。それが一堂に会した図を想像すると、なかなかのものがあります。ちなみに、大内裏出口の朱雀門から三条まで下る距離は五〇〇メートル弱のようですから、三条宮邸までの間は行列でほぼ繋がってしまったという格好になりそうです。

 こうして自邸に引き取って「寛いで(女二宮を)拝見なさる」と思いがけず好感度急上昇、これまでは、帝からの仰せに従っただけの結婚でさしたる関心もなく、ただ「亡くなった姫君にとてもよく似ていらっしゃったら、嬉しいことだろう」という、あり得ない期待があった(第四章第一段)程度だったのですが、印象が一転して、「ここが足らないと見えるところもな」いくらいに素晴らしいなのでした。二晩、ろくに顔が見られなかったようです。

 そこで薫は、「『運命も悪くはなかったのだ(原文・宿世のほどくちおしからざりけり)』と、心中得意に」なったと言います。ここは、実は彼の大きな転換点ではないでしょうか。

彼がこれまで背負っていた「宿世」とは、何と言っても「罪の子」という意識だったはずで、それが彼の思考や行動を、これまで大きく制約していたものでしたが、今、その制約から解き放たれたような気がしているように見えます。

もちろんすぐに何もかもが変わるわけではありませんから、それでもなおすぐに思いは大君も思い出に向かって、「寺の造営にばかり心を注」ぎますが、それでもそれは「二人の運命を、何の報いであったのかとはっきり知って諦めよう」というもので、ずいぶん前向きな姿勢に見えます。

やはり、作者は、彼の中の何をどうにか変えようとしているのではないでしょうか。》

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