【現代語訳】

 匂宮の若君が五十日におなりになる日を数えて、その餅の準備を念入りにして、籠物や桧破子などまで御覧になりながら、世間一般の平凡なことではないようにしようとお考えになって、沈、紫檀、銀、黄金など、それぞれの専門の工匠をたいそう大勢呼び集めさせなさるので、自分こそは負けまいといろいろのものを作り出すようである。
 ご自身も、いつものように宮がいらっしゃらない間においでになる。気のせいであろうか、もう一段と重々しく立派な感じまでが加わったと見える。

「もういくら何でも、わずらわしかった懸想事などは忘れなさったろう」と思うと、安心なので、お会いになった。けれども以前のままの様子で、まず涙ぐんで、
「気の進まない結婚はたいそう心外なものだと、世の中を思い悩みますことは、今まで以上です」と、何の遠慮もなく訴えなさる。
「まあ何という事を。他人が自然と漏れ聞いたら大変ですよ」などとおっしゃるが、これほどめでたい幾つものことにも心が晴れず、

「忘れがたく思っていらっしゃるらしい、お心の深さだこと」としみじみお察し申し上げなさると、並々でない愛情だとお分かりになる。

「生きていらっしゃったら」と、残念にお思い出し申し上げなさるが、

「そうしても、自分と同じようになって、姉妹で恨みっこなしに自分を恨むのがおちであっただろう。何事も、人数にも入らない身では、世間の人並みらしいこともありえないのだ」と思われると、ますます、姉君が結婚しないで通そうと思っていらっしゃった考えは、やはり、とても重々しく思い出されなさる。

 

《前段の薫の話の続きで、宇治の寺造営の手配の一方で、匂宮の若君の五十日を祝いの準備に精を出しています。「世間一般の平凡なことではないように」と気合を入れていて、「産婦の実家のつもり」(『評釈』)のようで、新妻・女二宮とのことはそっちのけとになってしまっています。

 しかし本当に実家としてなら、訪ねるのに「宮がいらっしゃらない間」などと考える必要はないでしょうから、実際に手を出すようなことはしない(いや、彼にはできないのではないかとさえ思われます)ながら、やはり含むところがあるのは、間違いありません。

 中の宮は、出産して「もう一段と重々しく立派な感じまでが加わっ」ています。実際、結婚まもなく出産した女性は、満ち足りた気持ちと自信に裏付けられるのでしょうか、その美しさは、しばしば感嘆措く能わざるものがあります。余談ながら、そのことについての私の最たる経験は、美智子妃殿下の浩宮殿下ご出産以後のころのことで、その何とも形容しがたい妃殿下のお美しさは、当時思春期だった私の脳裏に焼き付き、今も鮮やかです。

 さて、そういう中の宮に、薫は、以前と同じようにすり寄って行こうとします。中の宮はその薫の言葉を「忘れがたく思っていらっしゃるらしい」と、大君のこととして聞くのですが、薫はそのようにしか言えないから、そう聞こえるように言っているのであって、今ほしいのは、中の宮の優しい言葉であろうと思われます。

 中の宮は、これほどの薫の思いがあるなら「生きていらっしゃったら」あるいは幸せになられたかも知れないと一瞬は思うのですが、すぐに女二宮と結婚したことを思い出したのでしょう、結局私と同じつらい思いをされただろうと思い返すと、改めて、結婚しないままに逝ったのが、賢明だったかもしれないという気がしてくるのでした。》

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