【現代語訳】

 やっとのことその早朝に男の子でお生まれになったのを、宮もたいそうその効あって嬉しくお思いになった。大将殿も、昇進の喜びに加えて嬉しくお思いになる。昨夜おいでになったお礼言上に、そのままこのお祝いを合わせて、立ったままで参上なさった。こうして籠もっていらっしゃるので、お祝いに参上しない人はいない。
 御産養は、三日は例によってただ宮の私的祝い事として、五日の夜は、大将殿から屯食五十具、碁手の銭、椀飯などは普通通りにして、産婦中の宮の衝重三十、稚児の御産着五重襲に御襁褓などは仰々しくないようにこっそりとなさったが、細かく見ると、特別に珍しい趣向が凝らしてあるのだった。
 宮の御前にも、浅香の折敷や高坏類に、粉熟を差し上げなさった。女房の御前には、衝重はもちろんのこと、桧破子三十、いろいろと手を尽くしたご馳走類がある。人目につくような大げさには、わざとなさらない。
 七日の夜は、后の宮の御産養なので、参上なさる人びとが多い。中宮大夫をはじめとして、殿上人、上達部が、数知れず参上なさった。主上におかれてもお耳にあそばして、
「宮がはじめて一人前におなりになったというのに、どうして放っておけようか」と仰せになって、御佩刀を差し上げなさった。
 九日も、大殿からお世話申し上げなさった。おもしろくなくお思いになる方のことだが、宮がお思いになることもあるので、ご子息の公達が参上なさって、万事につけたいそう心配事もなさそうにおめでたいので、ご自身でも、ここ幾月も物思いによって気分が悪いのにつけても、心細く思い続けていらっしゃったが、このように面目がましいはなやかな事が多いので、少し慰みなさったことであろうか。
 大将殿は、「このようにすっかり大人になってしまわれたので、ますます自分のほうには縁遠くなってしまうだろう。また、宮のお気持ちもけっして並々ではあるまい」と思うのは残念であるが、また、初めからの心づもりを考えてみると、たいそう嬉しくもある。

 

《薫の右大将新任の披露の宴の翌朝、中の宮がめでたく男児を出産しました。「宮もたいそうその効あって嬉しく」は、諸注「心配したかいがあって」と訳しますが、「女児でなく男児であったことを喜ぶ」(『集成』)ということでしょうから、期待していたかいがあって、といったところでしょうか。

 以下、ばたばたと祝いの儀式が続きます。

 薫が、匂宮に昨夜のお越しのお礼に参上して併せてお祝いを言上します。「立ったままで」というのは、「お産の穢れに触れないための用意」(『集成』)で、昔、夕顔が亡くなったときに傷心の源氏の見舞いに来た当時の頭中将が同じように立って挨拶をしていました(夕顔の巻第四章第五段2節)。当節では、人権侵害と言われそうです。

 産養の三日目、薫もお祝いの品を届けます。例によって、「仰々しくないようにこっそりと」、しかし「細かく見ると、特別に珍しい趣向が凝らしてあ」るという、文句なしの心配りですが、実際には難しいことですので、やはりひとつでも具体的な例が知りたい気がします。

 九日、大殿(夕霧)からのお祝いが届けられました。正室六の君の父である彼としては、もちろん面白くないことではあるものの、相手が匂宮では放っておくことはできません。と言って、彼自身が出かける気にはなれませんので、息子たちに代行させることにします。

「産養」は、「赤子が生まれて三日・五日・七日・九日の夜に行われる祝。…親族、縁者から、衣類、餅などを産家に贈った」(『辞典』)というもので、この夕霧の祝が大トリとなってめでたく終わり、中の宮もこの期間、誇らしく晴れて表の舞台を務めたことになります。

そういう姿を少し遠くから見るしかない薫には、彼女の姿がまぶしく見えて寂しい気持ちがしますが、一方で彼女をそういう立場に押し上げたのは自分なのだと思うと、大君に対しては、いいことをしたのだという気もして、誇らしくもあります。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ