【現代語訳】

 夜が明けたのでお帰りになろうとして、昨夜、供人が後れて持って参った絹や綿といった物を阿闍梨に贈らせなさる。尼君にもお与えになる。法師たちや、尼君の下仕え連中の料として、布などという物までを、呼んでお与えになる。心細い生活であるが、このようなお見舞いが常々あるので、身分のわりにいかにも見苦しくなく、おだやかに勤行しているのであった。
 木枯しが堪え難いまでに吹き抜けるので梢の葉も残らず散って、敷きつめた紅葉を踏み分けた跡も見えないのを見渡して、すぐにはお出になれない。たいそう風情ある深山木にからみついている蔦の色がまだ残っていた。せめてこの蔦だけでもと少し引き取らせなさって、宮へとお思いらしく、持たせなさる。
「 やどりきと思ひいでずは木のもとの旅寝もいかにさびしからまし

(昔泊まった宿木の家と思い出さなかったら、この深山木の下の旅寝もどんなにか寂

しかったことだろう)」
と独り言をおっしゃるのを聞いて、尼君が、
「 荒れ果つる朽木のもとをやどりきと思ひおきけるほどの悲しさ

(荒れ果てた朽ち木のもとを昔泊まった家と覚えていて下さるのが悲しいことです)」
 どこまでも古風であるが、趣がなくはないのを、わずかの慰めとお思いになった。
 

《帰りがけに薫は宇治の一同それぞれに贈り物をしました。「あいかわらず薫は、こまかいところに気が付く」と『評釈』が言います。もっとも、普通手土産は来た時に渡すもので、それを帰りがけに差し出すというのは、相手に遠慮・配慮を要するときには私たちもすることですが、この場合はほとんど主従に近い関係ですから、何の配慮もいらないはずで、ちょっと意外な感じではあります。

ともあれ「このようなお見舞いが常々あるので」、この人たちの生活が成り立っているのだと、後へのかかわりもないまま、わざわざ語られているということは、作者も、薫をそういう人物として読んでほしいと思っている、ということでしょう。

してみると、物語は多分に「実験小説」(椎本の巻第一章第五段)的ではありながら、やはりこの人は基本的によくできた好ましい人として好意的に描かれているようです。

 帰るにあたって、薫は中の宮への土産に紅葉した蔦の葉を持ち帰ることにしました。

 そこでふと漏らされたここの歌が巻名出所の歌です。蔦を「やどり木」と詠んでいて、現代の呼び方ではないようです。

『評釈』が「『やどり木』とこの巻に名づけたのは、形代の意をきかせたのであろうか」と言うのですが、意味がよく分かりません。気になるところですが、あるいは「形代」は、本来の物ではなく、宿木のようなものだ、とでもいうことなのでしょうか。

 弁の返歌も、『評釈』は「おとなしい言葉つき」だと言いますが、最後の「悲しき」などは、なかなか微妙ではないでしょうか。

「朽ち木」は、弁がかつて自分のことをそう呼んだことがあり(橋姫の巻第四章第四段)、ここでももちろん彼女自身を言うのでしょうが、その自分のいる邸に、「昔(と言っても去年までのことですが)、泊まった家と覚えていて下さるのが悲しい」というのは、あのころに比べて、今はすっかり寂しくなったことが改めて思いやられて、ということかと思われます。

なお、途中、「せめてこの蔦だけでもと少し」のところ、原文は「こだになど少し」です。『集成』は「こだに」について「前に『蔦』とあり、蔦の一種と思われる。『枕草子』草はの段に『こだに』と見える」と言います。古来ある説のようですが、『評釈』は「もしそうなら『こだに』の後に格助詞がくると思う」として、ここのような訳にしています。》

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