【現代語訳】

 そうして、何かのきっかけで、あの形代のことを言い出しなさった。
京に、近ごろおりますかどうかは存じません。それは人づてにお聞きした人の話のようです。故宮がまだこのような山里の暮らしもなさらず、故北の方がお亡くなりになって間もなかったころ、中将の君と言ってお仕えしていた上臈で気立てなども悪くはなかった人を、たいそう密かに、かりそめに情けをお交わしになったところ、知る人もございませんでしたが、女の子を産みましたのを、あるいはご自分のお子であろうかとお思いになることがありましたので、あいにくなことに厄介で迷惑なようにお思いになって、二度とお逢いになることもありませんでした。
 何か、そのことにお懲りになって、そのままどうやら聖におなりあそばしたので、身の置き所もなく思ってお仕えもできなくなってしまったあと、陸奥国の守の妻となったところ、先年上京して、その姫君も無事でいらっしゃるということを、こちらの方にもそれとなく申して来ましたが、お聞きつけになって、決してそのような便りなどしてはならぬときつくお言いつけになりましたので、がっかりして嘆いていました。
 そうして再び常陸の国司になって下りましたが、ここ数年、噂にもならずにいらっしゃいましたところ、この春上京して、あちらの宮にはお伺い申したと、耳にしました。
 その君のお歳は、二十歳くらいにおなりになったでしょう。とてもかわいらしくお育ちになったのがいとおしいなどと、近頃は、手紙にまで書き綴ってございましたようで」と申し上げる。
 詳しくはっきりとお聞きになって、

「それでは、本当であったのだ。会ってみたいものだ」と思う気持ちが出てきた。
「故姫君のご様子に少しでも似ているような人は、知らない国までも探し求めたい気持ちだが、お子とお認めにならなかったけれども近い人であるようだ。わざわざではなくても、こちらの方に便りを寄こすことがあったおりには、こう言っていたとお伝えください」などといった程度に言っておかれる。
「母君は、故北の方の姪です。弁も縁続きの間柄でございますが、その当時は別の所におりまして、親しくはお会いしていません。
 最近、京から、大輔のところから申してきましたことには、あの姫君が、何とか父宮のお墓にだけでも詣でたいと、おっしゃっているそうだ、そのようなおつもりでいよ、などとございましたが、まだここには、特に便りはないようです。そのうちそうなったら、そのような機会に、この仰せ言を伝えましょう」と申し上げる。

 

《初めの「京に、近ごろ…」は、一読、薫の「言い出し」た話のような続き方ですが、弁の尼の「形代」の人についての情報提供です。結構詳しく知っているのでした。

 ここで語られる八の宮は、これまでの彼のイメージを一変させるものです。これまでの彼は、なによりもまず仏道と風雅に生きる俗聖であり、厭世的で心優しい(あるいは気の弱い)人という印象でしたが、ここでは、「深いご夫婦仲のまたとない」(橋姫の巻頭)北の方をなくしてまだ「間もなかったころ」に仕えていた、北の方の姪に当たる女房と「かりそめに情けをお交わしにな」るようなことがあったと言います。

 そればかりか、その相手に子供ができたと聞くや、一転して「厄介で迷惑なようにお思いになって、二度とお逢いになることもありませんでした」と、ずいぶん断固としていて薄情で、しかもそれに懲りて出家してしまいます。

「何か、そのことにお懲りになって」の「何か」の原文は「あいなく」で、『集成』が「そこまでお思いになることもあるまいに、というほどの(弁の)気持ち」と言います。不本意な前半生の後、かろうじて心の支えとしていた妻を亡くし、今度は「かりそめ」の振る舞いがつまらぬ絆しを生じてしまうという自分の悲運に、彼の内心に何かの激情が走ったのでしょうか。そして時が経っての久々の便りにも、二度と便りなど寄こすなと、突っぱねてしまったのでした。

『光る』は「丸谷・この浮舟親子の扱いが出てきたところで、八宮がはじめて『現実の男』という感じがしてくるんです。いままではなんだか生身の男という感じがなかった」と言います。

 もっともそれは八の宮の話で、ここの本題は、彼が生ませた娘の方です。こちらは、母・中将の君(もと、そう呼ばれていた、ということでしょう)とともに上京していて、年のころは「二十歳くらい」、どうやら「とてもかわいらしくお育ちになっ」ているようです。

 大君の縁者だということがはっきりして、薫の心は動きました。早速、いい機会があったら、会う手はずを、と弁に求めます。幸い、その娘は八の宮の墓参を希望していて近々宇治に来ることになりそうだという知らせが、都の中の宮の側にいる大輔の君から入っていました。『評釈』が、「生前は、(父宮から)お目通りは許されなかった。…心やさしい中の君は、…この申し出を許したのだ」と言います。

 薫にも、そして読者にも、新たな展開が期待されます。

 なお、途中、浮舟の上京を「この春上京して」と言っていますが、中の宮は「今年の夏頃、遠い所から出てきて尋ねて来た」と言っていました(第六章第四段)。上京してしばらくしてから、訪ねたのでしょう。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ