【現代語訳】

「今回こそは見よう」とお思いになって、歩き回って御覧になると、仏像もすべてあのお寺に移してしまったので、尼君の勤行の道具だけがある。たいそう頼りなさそうに住んでいるのを、しみじみと、

「どのようにして暮らしていくのだろう」と御覧になる。
「この寝殿は造り変える必要がある。完成するまで、あちらの渡廊に住まいなさい。京の宮邸にお移しした方がよい物があったら、荘園の人を呼んで、しかるべくはからってください」などと、事務的なことをお話しになる。他ではこれほど年とった者を何かとお世話なさるはずもないが、夜も近くに寝させて、昔話などをおさせになる。故大納言の君のご様子を、聞く人もないので気安くて、たいそう詳細に申し上げる。
「ご臨終におなりになった時に、かわいくお思いだったご様子を気がかりにお思いになっていたご様子などが思い出し申し上げると、このように思いもかけませんでした晩年に、こうしてお目にかかれますのは、ご生前に親しくお仕え申した効が現れたのでしょうと、嬉しくも悲しくも存じられます。情けない長生きで、さまざまなことを拝見して来、思い知りもしてまいりましたことが、とても恥ずかしくつらく思っております。
 中の宮様からも、時々は参上して目通りせよ、無沙汰して籠っているのは、まるきり他人のようだなどと、おっしゃる時々がございますが、忌まわしい身の上で、阿弥陀仏のほかには、お目にかかりたい人はなくなっております」などと申し上げる。

故姫君の御事を尽きもせず長年のご様子などを話して、何の時に何とおっしゃり、桜や紅葉の美しさを見てもちょっとお詠みになった歌の話などを、この人にふさわしく震え声ながら、おっとりして言葉数少なかったが、風雅な姫君のお人柄であったなあとばかり、いよいよ聞いてお思いになる。
「宮の御方はもう少し華やかだが、心を許さない人に対しては体裁の悪い思いをおさせなさるようであったが、私にはとても思慮深く情愛があるように見えて、何とかこのまま過ごしたいとお思いのようであった」などと、心の中で比較なさる。

 

《「今回こそは見よう」は、諸注「これが見納めだろう」と訳します。彼にとっては様々な思い出のある邸ですから、そういう気持ちなのでしょう。

 見回る途中、弁の尼の居室に立ち寄りました。彼はいたわる気持ちで語りかけ、「夜も近くに寝させて、昔話などを」させます。弁は、柏木の最期の様子などを、今日は周りに人もいないので、思い出す限りを話しました。

彼女としては大変な思い出であり高貴の人の密事ですが、長く一人で抱えて来たその話を、以前にその片端を薫に話すことができたものの、その後誰にも話せないまま、また長い間ひとりで重く抱えていたことですから、ここを先途と「尽きもせず」に語り続けます。

それは彼女にとっては、ひとえに、「ご生前に親しくお仕え申した効が現れた」のです。しかし、一方で彼女は「情けない長生きで、さまざまなことを拝見して来、思い知りもしてまいりました」と言います。それは、柏木の死に始まり、母の死から男にたぶらかされての西国への流浪であり、八の宮、大君の死と、いずれをとっても非業の出来事ばかりです。いや「非業」ではなく、何かの業によるものなのかも知れませんが、彼女自身にはただもう「恥ずかしくつらく」思われるばかりで、「忌まわしい身の上」としか思えません。そういう気持ちを、大君の話の中にちりばめる間は、薫は話を聞いてくれます。

一方薫は、聞きながら、もちろん弁の身の上を思っているわけではありません。『評釈』は「なき姉宮に感心し、今いる中の宮のことをも思う」と言いますが、書かれているウエイトは反対で、彼は話を聞きながら、大君の「風雅な人柄」を思うだけですが、中の宮については、他の人に対する時とは違うって、「私にはとても思慮深く情愛があるように見えて、何とかこのまま過ごしたいとお思いのようであった」と、などと、いわば鼻の下を長くしている、といった塩梅で、弁の尼の気持とは必ずしも同じではありません。》

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