【現代語訳】

 阿闍梨を呼んでいつものように故姫君の御命日のお経や仏像のことなどをお話しになる。
「ところで、ここに時々参るにつけても、しかたのないことが悲しく思い出されるのがとてもつまらないことなのでこの寝殿を壊して、あの山寺の傍らにお堂を建てようと思うが、同じことなら早く始めたい」とおっしゃって、お堂を幾塔、数々の渡廊や僧坊などと、必要なことを書き出したりおっしゃったりなさるので、
「まことにご立派な功徳で」とお教え申す。
「故人が風流なお住まいとして場所を得てお造りになった所を取り壊すのは薄情なようだけれども、宮のお気持ちも功徳を積むことを望んでいらっしゃったようだが、後にお残りになる姫君たちをお思いやって、そうはお決めになられなかったのではなかろうか。
 今は、兵部卿宮の北の方が所有していらっしゃるはずだから、あの宮のご料地と言ってもよいようになっている。だから、ここをそのまま寺にすることは、不都合であろう。勝手にすることはできない。場所柄もあまりに川岸に近くて、人目にもつくので、やはり寝殿を壊して、別の所に造り変える考えです」とおっしゃるので、
「あれやこれやと、まことに立派な尊いお心です。昔、別れを悲しんで、骨を包んで幾年も頚に懸けておりました人も、仏の方便によってその骨の袋を捨てて、結局は仏の道に入ったのでした。この寝殿を御覧になるにつけても、お心がお動きになりますのは、一つには良くないことです。また、来世への勧めともなるものでございます。急いでお世話申しましょう。暦の博士が計らい申す吉日を承って、建築に詳しい工匠を二、三人賜って、こまごまとしたことは、仏のお教えに従って進めさせ申しましょう」と申す。

あれこれとお決めになって、ご荘園の人びとを呼んで、この度のことを阿闍梨の言うとおりにするようにということなどをお命じになる。いつの間にか日が暮れたので、その夜はお泊まりになった。

 

《次に、薫は阿闍梨を呼んで、「この寝殿を壊して、あの山寺の傍らにお堂を建てよう」という計画を持ちかけました。こんな話を来てから思いつくことはなさそうですから、どうやら彼の来訪の目的はそのことだったようです。

しかし、いくら後見人と言っても、中の宮のここに帰りたいという意向もあったにもかかわらず、まったくの一存でこうした計画を進めるとは驚きです。

『評釈』は「あざりに言う前に、中の宮に諒解を求めている」と言って、「あの山里の辺りに、特に寺などはなくても、…」と話した(第六章第三段)ことを挙げていますが、それは「人形」を置いて寺を建てることについてであって、「寝殿を壊す」というような乱暴な話ではありません。

彼は、この神殿を見るたびに大君のことが思い出されて切なく、それは「とてもつまらないことなので(原文・いと益なきを)」と、理由も、自分の都合のように聞こえますし、「故人が風流なお住まいとしてお造りになった…」という話も、薫の勝手な都合のいい推測に過ぎません。

さらに、「兵部卿宮の北の方(中の宮)が所有していらっしゃるはずだから、あの宮(匂宮)のご料地と言ってもよい」として、だからそこに寺は作れない、というのなら、今そこにある寝殿を壊すことも出来ないのではなかろうかと思われます。

もっとも、薫の三条邸が焼けて六条院に移った時にも、何の感想もなく単に移転したという話だけで終わっていました(椎本の巻第五章第二段)から、彼らにとっては邸一棟くらい何ほどのことでもないのかも知れません。

 もちろん作者は殊勝な計画だということで語っているようですから、そのように読むところなのでしょうが、どうもよく分かりません。

 阿闍梨に至っては、功徳を積むことであることには違いありませんから、「まことにご立派な功徳だ」、「あれやこれやと、まことに立派な尊いお心」と、無条件の絶賛です。

 そして、さらに驚いたことには、日暮れにもかかわらず、すぐに荘園の者たちを集めて、即日、決定布告です。

 どうもよく分からない段ですが、私の戸惑いには関わりなく、事は、そのように進んでいきます。ともあれ、薫の大君を偲ぶ思いの強さと奇特な志と理解して読み進めることにします。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ