【現代語訳】
「今まではこの世にいるとも知らなかった人で、今年の夏頃、遠い所から私を尋ねて来た者を、よそよそしくは思うことのできない人ですが、また急にそう何も親しくすることもあるまいと思っておりましたところ、最近来たその者は、不思議なまでに故人のご様子に似ていたので、しみじみと胸を打たれました。
亡き人の形見などと、そのようにおっしゃるようなのは、かえって何もかもあきれるくらい似ていないようだと、知っている女房たちは言っておりましたが、とてもそうでもないはずの人が、どうしてそんなに似ているのでしょう」とおっしゃるのを、夢語りかとまで聞く。
「そのようなわけがあればこそ、そのようにもお親しみ申すのでしょう。どうして今まで、少しも話してくださらなかったのですか」とおっしゃると、
「さあ、その理由も、どのようなことであったかも分かりません。頼りなさそうな状態で、この世に落ちぶれさすらうことだろうとばかり不安そうにお思いであったことを、ただ一人で何から何まで経験させられましたのに、またつまらないことまでが加わって、人が聞き伝えることも、とてもお気の毒なことでしょう」とおっしゃる様子を見ると、
「宮が密かに情けをおかけになった女が、子を生んでおいたのだろう」と理解した。
《中の宮は、薫に「何とかして、このような心をやめさせて、穏やかな交際をしたい」(前段)と考えて、薫が「人形」と言い出したことから、ふと思い出した人がありました。
その人は中の宮が「不思議なまでに、故人のご様子に似ていたので、しみじみと胸を打たれ」たという人で、「今年の夏頃」と言いますから、彼女の懐妊が判ったころに、向こうから訪ねてきたのでした。
「尋ねて来た」の原文は「尋ね出でたりし」で『評釈』が「私を尋ね出した」の意と注しています。
薫は中の宮を「亡き人の形見」というほどに大君の面影を見ているのですが、実は、姉妹を知っている女房は「かえって何もかも、あきれるくらい似ていないようだ」と思っているのです。
そういえば、もともとこの姉妹は、妹は「たいそうかわいらしくつやつやしている」、し、姉は「もう少し落ち着いて優雅な感じ」(橋姫の巻第三章第三段)と紹介されていましたし、大君は「自分よりは容姿も容貌も盛りで惜しい感じの中の宮」(総角の巻第一章第七段)と言っていて、「薫は中の宮の中に姫宮(大君)のイメージを重ねて、中の宮を理想化した」(『評釈』)ということのようです。
もっとも同じ『評釈』が、中の宮が宇治を立つとき(早蕨の巻第一章第六段)の薫の「とてもよく似ていらっしゃる」という思いに対して、「物を思うようになった中の宮は、内面の抑制によって『なまめかしく』なり、姉宮に似るのである」と言っていて、これもありそうなことではあります。
「そのようなわけが…」という薫の言葉は、意味が分かりにくいのですが、先方はあなたを頼るだけの縁があると思っているから、やって来たのでしょう、というようなことでしょうか。
中の宮は、どういうつながりかよく知らないが、どうやら父の娘らしいと察しているという様子で、父はあの世で自分たち姉妹が「この世に落ちぶれさすらうこと」をひたすら心配していらっしゃるだろうのに、そこにまた一人、心配の種や人のうわさの種が加わって、「とてもお気の毒なこと」と、本当の意図とは少し違う方にさりげなく向けて、話を結びます。ただ思い出しただけの話で、他意はないという格好にしようというわけです。》