【現代語訳】

 女君は、

「やはりそうだった、ああ嫌な」と思うが、何を言うことができようか、何も言わないで、ますます奥にお入りになるので、その後についてとても物馴れた態度で、半分は御簾の内に入って添い臥しなさった。
「いえ、違うのです。人目に立たないならよいようにお考えになったことが嬉しく思えたのは、聞き違いかと、それを伺おうと思いまして。よそよそしくお思いになるべき間柄でもないのに、情けないご様子ですね」とお恨みになるので、返事をしようと言う気もしなくて、心外で憎く思う気になるのを、無理に落ち着いて、
「思いがけないお心のほどですね。女房たちがいろいろに思いましょう。あきれたこと」と軽蔑して、泣いてしまいそうな様子なのは、少しは無理もないことなので、お気の毒とは思うが、
「これは非難されるほどのことでしょうか。この程度の対面は、昔を思い出してください。亡くなった姉君のお許しもあったのに、ずいぶん疎々しくお思いになっていらっしゃるのは、かえって嫌な気がします。好色がましいあきれるような気持ちはないと、安心してください」と言って、たいそう穏やかに振る舞っていらっしゃるが、幾月もずっと後悔していた心中が堪え難く苦しいまでになって行く気持ちを、長々と話し続けなさって、放しそうな様子もないので、どうしようもなく、つらいと言ったのでは月並である。かえってまったく気心を知らない人よりも、恥ずかしく気にくわなくて、泣いてしまわれたのを、
「これは、どうしましたか。何とも大人げない」とは言いながら、何とも言えずかわいらしく、気の毒に思う一方で、心配りが深くこちらが恥ずかしくなるような態度などが、以前に見た時よりも、すっかり成人なさったのを見ると、

「自分から他人に譲って、このようにつらい思いをすることよ」と悔しいのにつけても、また自然泣かれるのであった。

 

《中の宮は、この人なら大丈夫そうだと思っていた薫の変身に、ああこの人もやはりこうだったのかと戸惑い、なお奥に入ってしまおうとしますが、薫は「その後についてとても物馴れた態度で」入って来て、「添い臥し」ました。

 「人目に立たないならよいように…」は、中の宮の言った「ただ、ごく人目に立たないのがよいでしょう」(前段)を捉えて、それを、「二人でこっそり宇治へ、の意味にとりなして」(『集成』)の言葉です。そうまで思いながら、どうして今、こう「情けない対面」なのでしょう、昔もこういうふうにお会いしたことがあったじゃありませんか、あの時、姉君もお許しでした(総角の巻第二章第五、六段)、私は決してひどい振る舞いはしないのですよ、…。

 薫は「長々と話し続けなさって」、捉えた袖を放そうとしません。

 中の宮は、信用できると思っていた(後見してくれる人なのだと、子供のように安心して気を許していた、と言うべきでしょうか)だけに、余計に「恥ずかしく気にくわなくて」、しかしそうかといって対抗する手立てもなく、ただ泣くしかありません。

 ところが薫は、その「心配りが深くこちらが恥ずかしくなるような態度など」が、依然と比べて大変立派になったと思えて、それ以上に迫るきも失せて、手放してしまったことを悔いて、こちらも涙にむせんでしまいます。

 『評釈』は「ここまで無理押しして来た男に対して、中の宮は屈服しない。あきらめない。柏木に迫られた時の女三の宮(若菜下の巻第七章第四段2節)と比較すべきである」と言います。しかし、比較してみると、その違いは女三の宮が「何もお返事なさらない」ままだったのとここの中の宮が「「思いがけないお気持ちですね。…」と言ったということくらいで、その言葉も特に薫を自制させる効果を上げたとも思えません。

比較するならここはむしろ、柏木と薫の違いの方ではないでしょうか。薫の実父である柏木は相手の魅力に、普通の若者らしく「賢明にも自制していた分別も消え」(同)たのでしたが、ここの薫は、読者にその理由がよく分からないままに「自制」します。

中の宮に寄せる心は、もともと自分でも「ただあの方(大君)のご血縁と思うので思い離れがたいのだ」(第二章第四段)と承知しているのですから、そのせいかとも思われますが、大君の時も結果としては同じだったわけで、とすると、むしろ同じ『評釈』の「薫は実力行使に出ない。口で言うばかりである」と言っていることの方が、納得できます。

『光る』が「総角」の巻で「丸谷・この巻の弱点の一つは、薫は絶対に暴行をしない男だという、有無を言わせぬ小説的な書き方がないことですね」と言っていたことが改めて思い出されます。

同じ『光る』が「大野・自分の母親である女三の宮に対する柏木のひたむきの恋は、よろしくない結果をもたらし、自分という祝福されない人間が生まれた。恋に突進することは決して良くないことなのだという気持ちが薫の奥底にある」と言います。そういうことだろうとは思われますが、それは彼が「実力行使に出ない」ことから、逆にそういう気持ちがあるのではないかと読者が推し量るにすぎないのであって、やはり書き足りないところがあるのは否めない気がします。》

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