【現代語訳】

 そうして、翌日の夕方にお渡りになった。人知れず思う気持ちもあるので心ならずも気づかいされて、柔らかなお召し物類を一段と香を深く匂わしておられるのは、あまりに大げさなまでにあるのに加えて、丁子染の扇の、お持ちつけになっている移り香などまでが、譬えようもなく素晴らしい
 女君も、変な具合だった夜のことなどを、お思い出しになる折々がないではないので、誠実で情け深いお気持ちが、誰とも違っていらっしゃるのを見るにつけても、

「そんなふうでありたかった」くらいはお思いになるのだろうか。
 幼いお年でもいらっしゃらないので、恨めしい方のご様子を比較すると、何事もますますこの上なく思い知られなさるのか、いつも隔てが多いのもお気の毒で、

「物の道理を弁えないとお思いになるだろう」などとお思いになって、今日は、御簾の内側にお入れ申し上げなさって、母屋の御簾に几帳を添えて、自分は少し奥に引っ込んでお会いになった。
「特にお呼びということではございませんでしたが、いつもと違ってお許し下さいましたお礼に、すぐにも参上したく思いましたが、宮がお渡りあそばすとお聞きいたしましたので、折が悪いのではないかと思って、今日にいたしました。

それにしても、長年の誠意のかいもだんだん現れてきたのっでしょうか、隔てが少し薄らぎました御簾の内ですね。珍しいことですね」とおっしゃると、やはりとても気が引ける思いで、言い出す言葉もない気がするが、
「先日、嬉しく聞きました心の中を、いつものように、ただ仕舞い込んだまま過ごしてしまったら、感謝の気持ちの一部分だけでも、どうして知ってもらえようかと、残念なので」と、いかにも慎ましそうにおっしゃるのが、たいそう奥の方に身を引いて、途切れ途切れにかすかに申し上げるので、もどかしく思って、
「とても遠くでございますね。心からお話し申し上げ、またお聞き致したいお話もございますので」とおっしゃるので、なるほどとお思いになって、少しいざり出てお近寄りになる様子をお聞きなさるにつけても、胸が高鳴る思いだが、そんな様子も見せないでますます落ち着いた態度で、宮のご愛情が意外にも浅くおいでであったとお思いで、一方では批判したり、また一方では慰めたり、それぞれに穏やかにお話し申し上げなさる。

 

《薫は中の宮のところに、ずいぶんめかしこんでやって来ました。

「人知れず思う気持ちもある」からなのですが、次の「心ならずも(原文・あいなく)」がちょっと微妙で、これは私の訳①、『評釈』は「何となく」②、『集成』は「あらずもがなの」③、『谷崎』は「けしからず」と訳していてます。①と②は薫自身の気持ち、③、④は語り手の批評と考えられます。「自分ではそういうつもりはないのに」という感じだと思いますが、…。

それと合わせて、次の「お召し物」の話も分かりにくく、その匂いが「あまりに大げさ(原文・あまりにおどろおどろしきまであるに)」が否定的な言い方で、「丁子染の扇」の香りが「譬えようもなく素晴らしい」の好い評価と合わないように思えます。しかしまあ、ここは肯定的に読むしかないのでしょう。

 そうだとすると、前の「あいなく」も、③、④のような否定的評価は合わないという気がしますが、どうなのでしょうか

 さて、来てくれた薫を見て、中の宮は改めて「何事もますますこの上なく思い知られなさる」のでした。「そんなふうでありたかった」とは、この人と結ばれた方がよかった、ということのようで、ここにもまた「成長する」(「宇治の中君再論」(第三章第一段)、つまり現実的認識を広げていく(深めていく)中の宮がいます。彼女は、これまでと違って薫を御簾の中に入れて応対しました。それはもちろん、彼をより強く信頼するということですが、しかしそれはまた薫をあくまでも後見人として見ているからの対応であり、薫の思いと一致しているわけではありません。

 薫の挨拶がまた、ちょっと分かりにくいところです。まず「特にお呼びということではございませんでしたが」というのが変で、諸注、中の宮からの手紙に「できますことなら、親しくお礼を(原文・さりぬべくは、みづから)」とあったことに触れたのだと言いますが、それは呼んだということではないのでしょうか。「いつもと違ってお許し下さいました」も、「いつもは中の宮からいらっしゃいといわれたこともなく、薫が勝手に押しかけていたのが、来ても良いといわれた」(『評釈』)ことなのですから、事実上、呼ばれたことは確かでしょう。すると、この挨拶は、中の宮に気を遣って、自分から押し掛けてきたという形にしようということでしょうか。

 そうだとすると、ことさら宮が来ない時を選んできたと口に出して言うのも穏当ではない気がします。何か、薫が緊張しているような感じもします。

ともあれの挨拶ですが、中の宮の、面と向かうと「やはりとても気が引けて、言い出す言葉もない気がする」というのが、またこの人の清純さが表れていて大変いい感じで、よく分かります。

 それでも薫が、「お聞き致したいお話」がある(原文は「世の御物語」で、「匂宮と中の君の間柄をさすと解される・『集成』」)のでお近くに、と言うと、それもそうだとにじり出ます。中の宮のあいらしさと素直さが光ります。》

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