【現代語訳】

 けれど、向き合っていらっしゃる間は変わったこともないのであろうか、来世までお誓いになることの尽きないのを聞くにつけても、なるほどこの世は短い「命待つ間」でも、その間にもつらいお気持ちは表れるにきまっているので、

「来世の約束だけは違わないことであろうか」と思うと、やはり「こりづまにまたも(性懲りもなく、また)」頼る気になってしまうと、抑えに抑えているようであるが、こらえきれないのであろうか、今日は泣いておしまいになった。
 日頃も、

「何とかこう悩んでいたと見られ申すまい」と、いろいろと紛らわしていたが、あれやこれやと思うことばかりが多いので、そうばかりも隠していられなかったのか、涙がこぼれ出すとすぐには止められないのを、とても恥ずかしくわびしいと思って、かたくなに横を向いていらっしゃるので、無理に前にお向けになって、
「申し上げるままにいてくれる、いとしいお方と思っていたのに、やはりよそよそしいお心がおありなのですね。そうでなければ、夜の間にお変わりになったのですか」と言って、ご自分のお袖で涙をお拭いになると、
「夜の間の心変わりとは、そうおっしゃることにつけて、分かってしまいました」と言って、少しにっこりした。
「なるほど、あなたは、子供っぽいおっしゃりようですよ。けれど本当のところは、心に隠しごとがないので、全く平気ですよ。ひどくもっともらしく申し上げたところで、とてもはっきりと分かってしまうものです。まるきり夫婦の仲というものをご存知ないのは、かわいらしいものの、困ったものです。まあ、自分の身になって考えてください。『身を心ともせぬ(この身を思うにまかせられない)』状態なのです。もし、思うとおりにできる時がきたら、誰にもまさる愛情のほどを、お知らせ申し上げることが一つあるのです。簡単に口に出すべきことでないので、『命(長生きすること)』だけによって」などとおっしゃるうちに、あちらに差し上げなさったお使いが、ひどく酔い過ぎたので、少し遠慮すべきことも忘れて、おおっぴらにこの対の南面に参上した。

 

《前の段の終わりに、「この人(中の宮)に並ぶ者はいない」と思いながら、なお早く新妻・六の君のところに行きたいと思っている、という一節があって、またここで「向き合っていらっしゃる間は変わったこともない」と始まるので、やはりどうも付いて行けないという気がしてしまいますが、まあそんなものなのだろうと思うしかありません。本当の気持ちはどっちにあるのだ、などと我と我が内心を疑ったりするのは、ずっと時代が下らなければ現れてこないものの考え方なのでしょう。

 匂宮にとっては、二人の女性がそれぞれにかわいく思えていて、そのことに何の問題も感じてはいません。

 一方、中の宮は、匂宮の来世を誓う甘い言葉を聞きながら、この世では、それがたとえ短いものであるとしても、六の君とのことでつらい思いをし続けなくてはなるまいから、せめてその後の世の話だけでも信じるしかないだろうかと思うとつい泣けてきて、ひとたび涙がこぼれると、普段から堪えていることのあるつらさから、ついついとめどない悲しさになってしまいます。

 そんな中の宮の顔を、甘い映画のワンカットのように、優しくこちらに向かせて匂宮は、懸命に機嫌を取ります。昨日までは涙など見せなかったのに、どうして今日になってこうなのですか、夜の間に何かあったのですか、…。

 中の宮は、夜の間にお変わりになったのはあなたの方ではありませんか、と切り返すのですが、そう言って「少しにっこりした(原文・すこしほほ笑みぬ)」というのは、中の宮の精一杯の抵抗でしょうか。泣いてばかりはいない、私だって自分の立場の弱さは分かっているのです、あなたのお心変わりへの覚悟あるのです、…。

 匂宮も応じます。率直に厳しいことを言いますね、でも私は、心変わりしたのではないから平気です、新しい妻を迎えたのは、立場上やむを得なかったからで、そのことは時が経てばきっと分かってもらえるはずですよ、私にはあなたのために考えていることがあるのです、…。それは「もし御世が替わって、帝や后がお考えおきのようにでもおなりになったら(自分が即位することになったら)、誰よりも高い地位(中宮)に立てよう」(総角の巻第四章第八段)という考えに他ならないでしょう。あの気持ちを彼はまだ忘れずに持っているのです。

 いい場面なのです。ところがその時、六の君のところにやった使いが、向こうで饗応を受けて酔っていい機嫌で、返事をもってここにやって来てしまったのですから、大変…。》

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