【現代語訳】2

松風が吹いて来る音も、荒々しかった山下ろしに思い比べるととてものんびりとやさしく、感じのよいお住まいであるが、今夜はそのようには思われず、椎の葉の音には劣った感じがする。
「 山里の松の蔭にもかくばかり身にしむ秋の風はなかりき

(山里の松の蔭でもこれほどに身にこたえる秋の風は経験しなかったことだ)」
 昔のことを忘れたのであろうか。
 老女連中などは、
「もうお入りなさいませ。月を見ることは忌むと言いますのに。あきれてまあ、ちょっとした果物でさえお見向きもなさらないので、どのようにおなりあそばすのでしょう。ああ、見苦しいこと。不吉にも思い出されることがございますが、まことに困ったこと」と溜息をついて、
「いえね、今度の事ですよ。いくらなんでもこのままいい加減なお扱いで終わることはなされますまい。そうは言っても、もともと深い愛情で結ばれた仲は、すっかり切れてしまうものでございません」などと言い合っているのも、あれこれと聞きにくくて、

「今はもう、どのようにも口に出して言ってほしくない、ただ黙って見ていよう」とお思いになるのは、人には言わせまい、自分独りお恨み申そうというのであろうか。

「いえね、中納言殿が、あれほど親身なご親切でしたのに」などと、その当時からの女房たちは言い合って、

「人のご運命のうまくいかないこと」と言い合っていた。

 

《冷たい月の光の下で悲しみに暮れている中の宮に、松の枝を吹きすぎる風の音が、その心をさらに掻き立てます。このトラブルが起こるまでは、その松風も、宇治の山里の「山下ろし」に比べれば、ずいぶんと快いものとして聞いていたのですが、今日は、無性にあの宇治の「椎の葉の音」(椎本の巻第四章第五段)が恋しく懐かしく思われるのでした。

 まったく共感できる、中の宮の悲しみであるように思うのですが、ここで作者は思いがけず「昔の(つらかった)ことを忘れたのであろうか」と冷たく突き放している感じです。このことについては、『講座』所収「幸い人中の君」(原岡文子著)が興味深い見解を提出していますが、ここではしばらく措いて、もう少し後(第五段)で触れたいと思います。

 そういう中の宮を、女房たちは無情にも、いや、彼女たちとしては中の宮を思ってのことなのですが、部屋に入らせようとします。そしてその一方で、匂宮と薫についての週刊誌的な取りざたです。

 匂宮様は六の君を迎えたからと言って、これまでのお気持ちをすっかりお変えになることなど決してない、というわが身を思っての希望的観測(ということは、逆にこの度の婚儀に自分たちの不安を持っているということであるわけですが)があり、また、こんな心配をするくらいなら、言わぬことではない、むしろ薫様をおすがりすべきだったのだ、といった、女性特有の取り返しようのない繰り言など、…。

 そしてここでもまた、「自分独りお恨み申そうというのであろうか」という、真意の測りかねる作者(語り手)の言葉が入り込みます。》