【現代語訳】

「『世の憂きよりは(山里はわびしいけれども世の中のつらさの中で暮らすよりは住みよいことだ)』などと昔の人は言いましたが、そのように比べる考えも特になくて、何年も過ごしてきましたけれども、今では、やはり何とか静かな所で過ごしたく存じますのに、さすがに思い通りになりそうもないので、弁の尼が羨ましいことです。
 今月の二十日過ぎには、あの山荘に近いお寺の鐘の音も耳にしたく思われますので、こっそりと宇治へ連れて行っていただけないだろうかと申し上げたく思っておりました」 とおっしゃるので、
「荒らすまいとお考えになっても、どうしてそのようなことができましょう。身軽な男でさえ、往復の道が荒々しい山道ですので、思いながら幾月もご無沙汰しています。故宮のご命日のことは、あの阿闍梨にしかるべき事柄をみな言いつけておきました。あちらは、やはり仏にお譲りなさいませ。時々見ますにつけても、迷いが生じるのも困ったことですから、罪障を消すようなものにしたい思いますが、他にどのようにお考えでしょうか。
 どのようにでもお考えなさることに従おう、と思っております。ご希望どおりにおっしゃって下さい。どのようなことも遠慮なく承ってこそ、本望でございます」などと、実際的なことをも申し上げなさる。経や仏など、この上もなお御寄進なさるようである。

このような機会にかこつけて、そっと引き籠もって暮らしたいなどとお思いになっている様子なので、
「まったくとんでもないことです。やはり、どのようなことでもゆったりとお考えなさいませ」とお諭し申し上げなさる。

 

《薫の宇治の話を聞いて、中の宮のかねての望郷の気持ち(第一段2節)がいっそう募ったようです。

 つらい世間の中で暮らすよりも、人知れず山奥で暮らす方がいいと古歌にあることは知っていたけれど、山里に暮らしていた時はそんことを比べる気持ちないままに、これが普通の暮らしだと思って過ごしていたことだった。しかし、今となってみると、その気持ち何とよく分かることか、…。

「今月の二十日過ぎ」、それは父宮の命日ですが、それを機会に宇治に連れて行ってほしいと、切ない頼みです。

 しかしそれはさすがにできない相談ですから、薫は慌てて引き止めます。

それにしても「往復の道が荒々しい山道」だから、というのは、一度そこを通って都にやって来た人に対してあまり説得力のある理由ではないように思われます。

「(邸を)荒らすまいお考えになっても」とは、彼女がそういう気持ちで言っているのではなく、本当の理由は匂宮の結婚にあるということを承知の上で、しかしそんなことをお考えになるはずもないという立場での言葉でしょう。

もっとも、もし薫が本当に匂宮から中の宮を取り返したいと思うなら、これができればいい機会になるはずです。

こういう場合、源氏ならやったかも知れないと思わせるところが、源氏がただの色好みではなく、スーパー色好みたる所以です。トランプとオバマのいいところを集めて大統領にしたのだった、「アメリカ・グレイト・アゲイン」も可能なのかも知れないように、薫にもう一歩の突破力があれば、新源氏の登場となったかも知れませんが、作者の意図はそういうところにはありません。作者は、若菜の巻を書いて以来、それまでの源氏のような男は存在しないことが分かってしまっているのです。

薫は、源氏とは違った人間を描き出そうとして語られているのです。いまひとつ、その輪郭ははっきりしないようには思われますが、…。

ともあれ、彼は宇治については万全の手を打っているようで、その点では心配ないように中の宮に話して、思いとどまらせようとします。

仮に中の宮が本当の理由を打ち明けて頼んだにしても、もともとが彼の勧めた匂宮との結婚ですから、そういう企てに加担しにくいことも事実でしょう。彼がもし昔の髭黒の大将のような一面を持っていたなら、あるいは、という気もしますが、彼にはできないのです。そういう人物を描こう(創り上げよう)としているわけです。》

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