【現代語訳】

 もともと、感じがてきぱきと男らしくはいらっしゃらないご性格であるが、ますます物静かに振る舞うようにしていらっしゃるので、今は、自分でお話し申し上げなさることも、だんだんと、嫌で遠慮された気持ちも少しずつ薄らいで、お馴れになっていらっしゃる。
 つらそうにしていらっしゃる様子も、「どうしたのですか」などとお尋ね申し上げなさったが、はっきりともお答え申し上げず、いつもよりも沈んでいらっしゃる様子がおいたわしいにつけてもお気の毒な気がなさって、心を込めて、夫婦仲のあるべき様子などを、兄妹といった者がするように、お教えし慰め申し上げなさる。
 声なども、特に似ていらっしゃるとは思われなかったが、不思議なまでにあの方そっくりに思われるので、人目が見苦しくないならば簾を引き上げて差し向かいでお話し申し上げたく、苦しくしていらっしゃる容貌が見たい気がなさるのも、やはり、恋の物思いに悩まない人はいないのではないかと、自然と思い知られなさる。
「人並に出世してきらびやかになるというわけではなくても、心に悩むことがあり嘆かわしく身を悩ますことはなくて過ごせるはずの現世だと自分では思っておりましたが、自分から求めて、悲しいことも馬鹿らしく悔しい物思いをも、それぞれに休まる時もなく思い悩んでいますことは、不本意なことです。官位などといって大事にしているらしい、もっともな愁いにつけて嘆き思う人よりも、これはさらに罪の深さが勝るでしょう」などと言いながら、手折りなさった花を、扇に置いてじっと見ていらっしゃったが、だんだんと赤く変色してゆくのが、かえって色のあわいが風情深く見えるので、そっと差し入れて、
「 よそへてぞ見るべかりけるしら露の契りかおきし朝顔の花

(あなたを姉君と思って自分のものにしておくべきでした、白露が約束しておいた朝

顔の花ですから)」

 ことさらそうしたのではなかったが、露を落とさないで持ってきたことよと、趣深く思えたが、露の置いたまま枯れてゆく様子なので、
「 消えぬまに枯れぬる花のはかなさにおくるる露はなほぞまされる

(露の消えない間に枯れてしまう花のはかなさよりも、後に残る露はもっとはかない

ことです)
 何にすがって生きてゆけばよいのでしょう」と、たいそう低い声で言葉も途切れがちに、慎ましく否定なさったところは、

「やはり、とてもよく似ていらっしゃるなあ」と思うにつけても悲しみが先に立つ。

 

《「もともと、感じが…」は薫のことで、大君がなくなって以来、いっそうそうなった、ということ、「今は、自分で…」からは中の宮のことで、こちらは姉が亡くなって、止むを得ず薫と対面するうちに、薫の変化もあって、それなりに気軽な話ができるようになってきました。

 薫は、「お体が普通でないのに、その上にまた匂宮と六の君の結婚について一人でお悩みになっている」(『評釈』)中の宮の沈んだ様子をみて、兄妹のように、お教えし慰めます。

 話しながら、薫は、以前はそんなにまで思わなかったのに、今は、中の宮が大君たいへんよく似ているような気がしてきています。そして、御簾を挙げてその姿を見てみたい衝動に駆られました。

 「やはり、恋の物思いに…」は、「この自分ですら、こうなのだから、という気持ち」(『集成』)です。

 また、彼の言葉の中の「悲しいこと」は大君を失ったことでしょうが、次の「馬鹿らしく悔しい物思い」は微妙な言い方です。表向きは、大君の心を引き寄せ得なかったことと思われますが、彼の本心は「中の宮を匂宮に譲ったこと」(『集成』)なのでしょう。

 そこまで語っておいての、「よそへてぞ」の歌であるわけです。ここでは表向き、朝顔を詠んだのであって、それをどう解釈するかは読み手の問題となりますが、『評釈』が「『白露』は姫宮。姫宮は、中の宮を薫に、自分の身がわりに、と言ってくれたことをさす」と言います。「か」が変わった使い方をされているような気がしますが、『谷崎』が「疑問の語で、『やら』に当る」としています。

 中の宮も朝顔の歌として返します。双方とも表では朝顔の話をしながら、内心では、自分たち三人のことをほとんど直接的に語りあっているという、今更言うまでもない話ですが、素晴らしいというか、恐ろしいというか、そういう世界です。山崎正和著『劇的なる日本人』を思い出します。平たく言えば、当節の「忖度」というのでしょうか。

 ところで「露の置いたまま枯れてゆく」というようなことは、実際にあることなのだろうかと、またしてもつまらぬリアリズムが沸き上がりますが、どうなのでしょうか。》

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