【現代語訳】2

明るくなるにしたがって、霧が一面に立ちこめこめている空が美しいので、
「女たちは、しどけなく朝寝していらっしゃるだろう。格子や妻戸などを叩いて声を掛けるのは、もの慣れない感じがしよう。朝早いのにもう来てしまったことだ」と思いながら、供人を召して、中門の開いている所から覗き見させなさると、
「御格子は上げてあるようです。女房のいる様子もしていました」と申すので、下りて、霧の紛れに姿よく進んでお入りになるのを、

「宮がお忍びの所からお帰りになったのか」と見ると、露にお湿りになって高くなった香りが、例によって格別に匂って来るので、
「やはり、お目立ちになるお方ですこと。とりすましていらっしゃるのが憎らしい」などと、はしたなく若い女房たちはお噂申し上げている。慌てたふうでもなく、様よく衣ずれの音をさせて、お敷物を差し出す態度も、まことに物慣れている。
「ここに控えよとお許しいただけることは、人並みの気がしますが、やはりこのような御簾の前に放ってお置きになるのは情けない気がして、しばしばはお伺いできません」とおっしゃるので、
「それでは、どのようにするのがよろしいでしょうか」などと申し上げる。
「北面などの目立たない所ですね、このような古なじみなどが控えているのに適当な居場所は。それもまた、お気持ち次第なので、不満を申し上げるべきことでもない」と言って、長押に寄り掛かっていらっしゃると、例によって女房たちが、
「やはり、あそこまで」などと、お促し申し上げる。

 

《「作者はここに、中の宮がすばらしい女性であることを強調している」と『評釈』が言います。

 まず薫が、やって来はしたものの、少し早すぎたかと思って、昨夜主人の匂宮がおらず、女たちだけのこの邸では、朝寝坊をしているだろうと思って気を遣ったのでしたが、お供の者に覗いて見させると、すでに格子は上げられて、女房たちは働いているようでした。

 次に、それならばと、薫が車を降りで庭に入って行くと、その香りに彼と気付いた女房たちは、ひそひそと嘆声を交わしながら、迎えるのですが、その様子も「様よく」、「まことに物慣れて」います。

 こうした女房たちの見事な振る舞いは、すべて中の宮の普段の躾によるものなのだと、『評釈』は言います。

そして、薫が「御簾の前」(「簀子の座をいう。他人行儀な扱い」・『集成』)を与えられたことにやんわりと苦情を言うのに対して、中の宮を、「やはり、あそこまで(端近までお出ましください)」と「お促し申し上げ」るのが、そういう見事な女房たちですから、中の宮は、素直に安心して従うことができますし、読者としても、そうするのがよかろうという気になります。

薫が入って来てから、ここに至る全体の流れが非常になめらかで、きれいで、その中での女房たちが、確かに大きな役割をしています。

宇治出立の時に(早蕨の巻第二章第一段)中の宮を嘆かせた者たちだったことを思えば、大変な変化で、その躾に中の宮もなにがしのことをしたであろうと考えると、宇治ではできなかったことができているわけで、彼女の持ち前と、立場が人を作るということと、そして彼女の適応能力(それは「現実の人生に対する中君の認識の深まり(第二章第一段2節)」の一部です)が、それに預かっているのでしょう。

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