巻四十九 宿木 薫君の中、大納言時代・二十四歳夏から二十六歳夏四月頃までの物語

第一章 薫と匂宮の物語 女二の宮や六の君との結婚話

第一段 藤壺女御と女二の宮

第二段 藤壺女御の死去と女二の宮の将来

段 帝、女二の宮を薫に降嫁させようと考える

第四段 帝、女二の宮や薫と碁を打つ

第五段 夕霧、匂宮を六の君の婿にと願う

第二章 中の宮の物語(一) 中の宮の不安な思いと薫の同情

第一段 匂宮の婚約と中の宮の不安な心境

第二段 中の宮、匂宮の子を懐妊

第三段 薫、中の宮に同情しつつ恋慕す

第四段 薫、亡き大君を追憶す

第五段 薫、二条院の中の宮を訪問

第六段 薫、中の宮と語らう

第七段 薫、源氏の死を語り、亡き大君を追憶

第八段 薫と中の宮の故里の宇治を思う

第九段 薫、二条院を退出して帰宅

第三章 中の宮の物語(二) 匂宮と六の君の婚儀

第一段 匂宮と六の君の婚儀

第二段 中の宮の不安な心境

第三段 匂宮、六の君に後朝の文を書く

第四段 匂宮、中の宮を慰める

第五段 後朝の使者と中の宮の諦観

第六段 匂宮と六の君の結婚第二夜

第七段 匂宮と六の君の結婚第三夜の宴

第四章 薫の物語(一) 中の宮に同情しながら恋慕の情高まる

第一段 薫、匂宮の結婚につけわが身を顧みる

第二段 薫と按察使の君

第三段 匂宮と六の君

第四段 中の宮と薫、手紙を書き交す

第五段 薫、中の宮を訪問して慰める

第六段 中の宮、薫に宇治への同行を願う

第七段 薫、中の宮に迫る

第八段 薫、自制して退出する

第五章 中の宮の物語(三) 中の宮、薫の後見に感謝しつつも苦悩す

第一段 翌朝、薫、中の宮に手紙を書く

第二段 匂宮、帰邸して、薫の移り香に不審を抱く

第三段 匂宮、中の宮の素晴しさを改めて認識

第四段 薫、中の宮に衣料を贈る

第五段 薫、中の宮をよく後見す

第六段 薫と中の宮の、それぞれの苦悩

第六章 薫の物語(二) 中の宮から異母妹の浮舟の存在を聞く

第一段 薫、二条院の中の宮を訪問

第二段 薫、亡き大君追慕の情を訴える

第三段 薫、故大君に似た人形を望む

第四段 中の宮、異母妹の浮舟を語る

第五段 薫、なお中の宮を恋慕す

第七章 薫の物語(三) 宇治を訪問して弁の尼から浮舟の詳細について聞く

第一段 九月二十日過ぎ、薫、宇治を訪れる

第二段 薫、宇治の阿闍梨と面談す

第三段 薫、弁の尼と語る

第四段 薫、浮舟の件を弁の尼に尋ねる

第五段 薫、二条院の中の宮に宇治訪問の報告

第六段 匂宮、中の宮の前で琵琶を弾く

第七段 夕霧、匂宮を強引に六条院へ迎え取る

第八章 薫の物語(四) 女二の宮、薫の三条宮邸に降嫁

第一段 新年、薫権大納言兼右大将に昇進

第二段 中の宮に男子誕生

第三段 二月二十日過ぎ、女二の宮、薫に降嫁す

第四段 中の宮の男御子、五十日の祝い

第五段 薫、中の宮の若君を見る

第六段 藤壺にて藤の花の宴催される

第七段 女二の宮、三条宮邸に渡御す

第九章 薫の物語(五) 宇治で浮舟に出逢う

第一段 四月二十日過ぎ、薫、宇治で浮舟に邂逅

第二段 薫、浮舟を垣間見る

第三段 浮舟、弁の尼と対面

第四段 薫、弁の尼に仲立を依頼

 


【現代語訳】

 その頃、藤壺と申し上げた方は、故左大臣家の女御でいらっしゃった。帝がまだ東宮と申し上げていたとき、誰よりも先に入内なさっていたので、仲睦まじくいとしくお思いになるという点では、格別でいらっしゃったらしいが、その甲斐があったと見えることもなくて長年お過ぎになるうちに、中宮におかれては宮たちまでが大勢成長なさっているらしいのに、そのようなことも少なくて、ただ女宮をお一方お持ち申し上げていらっしゃるのだった。
 自分が、たいへん残念なことに、他人に圧倒され申している運命を嘆かわしく思っている代わりに、

「せめてこの宮だけは、何とか将来自分も満足のいくようにして差し上げたい」と、大切にお世話申し上げることは並々でない。ご器量もとても美しくおいでなので、帝もかわいいと思い申し上げていらっしゃった。
 女一の宮を世に類のないほど大切にお世話申し上げあそばすので、世間一般の評判こそ及ぶべくもないが、内々の御待遇は少しも劣らない。父大臣のご威勢が盛んであったころの名残が、たいして衰えてはいないので、特に心細いことなどはなくて、お仕えする女房たちの服装や姿をはじめとして気を抜くことなく、季節季節に応じて趣味よく整えて、はなやかで奥ゆかしくお暮らしになっていた。

 

《巻名は第七章第五段の歌によります。

 「その頃」と改めて語り始められて、大きく場面が転換します。「その頃」とは『評釈』と『谷崎』は椎本の巻の頃(一、二年前)と言い、『集成』の年立ては、早蕨の巻にそのまま繋げていますが、総角の巻と重なるという宣長説を注していて、ここから薫の年齢を二十五歳としながら、「(二十四歳)」を付記し、以後最後まで併記しています。ここでは便宜上『集成』説に従っておきます。

 さて、「藤壺の女御」というのは三十年余り前に明石の姫君の入内の折にその競争相手として先に入内した人(梅枝の巻第二章第二段)で、当時の左大臣(昔の頭中将)の三女、麗景殿の女御と呼ばれていました。それが今は藤壺(飛香舎)ですから、「仲睦まじくいとしくお思いになるという点では格別でいらっしゃった」ことの結果の、それなりの出世はあったということでしょうか。それにしても、あの時にすでにこの場面を予定して出しておいたのだろうかと、驚いてしまいますが、どうなのでしょうか。

さて、その女御は、「その(先に入内した)甲斐があったと見えることもなくて」、子供運に恵まれず、たった一人、姫があって、今や女御の希望はただただこの姫の将来の幸福でした。明石中宮に先に「女一の宮」が生まれていて、こちらは「女二の宮」です。帝の関心は多く女一の宮に傾いていたので、「世間一般の評判こそ及ぶべくもないが」、それでも「内々の御待遇は少しも劣ら」ず、また、さいわい美しい姫で、経済的基盤も故「父大臣」の「名残」があって、暮らしぶりもしっかりしているのでした。

ところで、実は「その甲斐があったと見えることもなくて」については、諸注いずれも、後から入内した明石姫君の威勢に押されて「立后のこともなかったことをいう」(『集成』)としています。しかし、本文に即せば、明石に比べて子供運がなかった、特に皇子が生まれなかった、と言っていると考えるのが普通ではないかと思われるのですが、どうなのでしょうか。》

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