【現代語訳】

 宵が少し過ぎてお着きになった。見たこともない様子で、光り輝くような殿造りで、『三つば四つばなる(三棟四棟と建ち並んでいる)』邸内にお車を引き入れて、宮は今か今かとお待ちになっていたので、お車の側にご自身お寄りになってお下ろし申し上げなさる。
 お部屋飾りなどもこれ以上なく整えて、女房の部屋部屋までお心配りしていらっしゃったことがはっきりと窺えて、まことに理想的である。どの程度の待遇を受けるのかとお考えになっていたご様子が、急にこのようにお定まりになったので、

「並々ならないご愛情なのだろう」と、世間の人びともゆかしく思って驚いているのであった。
 中納言は、三条宮邸に今月の二十日過ぎにお移りになろうとして、最近は毎日おいでになって御覧になっているが、この院が近い距離なので様子も聞こうとして、夜の更けるまでいらっしゃったので、差し向けていらっしゃっていた御前の人々が帰参して、有様などをお話し申し上げる。
 たいへんお気に召して大切にしていらっしゃるそうだということをお聞きになるにつけても、一方では嬉しく思われるが、やはり自分の考えたことながら馬鹿らしく、胸がいっぱいになって、「ものにもがなや(取り返せないものだろうか)」と、繰り返し独り言が出てきて、
「 しなてるや鳰の湖に漕ぐ船のまほならねどもあひ見しものを

(琵琶湖の湖に漕ぐ舟のように、まともではないが一夜会ったこともあったのに)」
とけちをつけたくもなる。

 

《「宵」というのは「日が暮れて暗くなってから」「ヨナカ」になるまでの時間(『辞典』)だそうです。宇治を立ったのが「日が暮れてしまいそうだ」(前段)と言われたからでしたから、「道中の遠く険しい山道」(前段)とあった割には、案外早く着いたようです。

 来てみると、そこは「光り輝くような殿造り」の邸でした。匂宮が待ちあぐねていて、下へも置かぬ出迎えで、彼女の部屋だけでなく、女房たちの部屋にも心配りが行き届いているほどでした。『講座』所収「中の宮の都移り」(吉岡曠著)は「れっきとした夫人待遇」と保証して言います。

「どの程度の待遇を…お定まりになったので」の原文は「いかばかりのことにかと見えたまへる御ありさまの、にはかにかく定まりたまへば」で、ここでは、中の宮のこととして訳しました(『評釈』、『谷崎』訳)が、匂宮のこととして考える(『集成』訳)ほうがいいかも知れません。

すると、世評では「浮気で気まぐれでより好みのはげしい匂宮」(『評釈』)がどんな女性をどんなふうに迎えるかということは衆目の集まるところだったのだが、こうした丁重なお迎えで、急に身を固めたので、ということになります。

「いかばかり」とあるので、中の宮のことのようですが、「にはかに」に注目すると匂宮のことのように見えます。

が、いずれにしても、匂宮の立派な迎え方を見て、人々は驚きながら中の宮をさぞかし素晴らしい人なのだろうと納得したという点では同じで、人々は、その幸運を羨むばかりです。

読者としては、このときの中の宮自身の気持ちをぜひ知りたいのですが、作者は語ってくれません。宇治では、あれほど宮を待っていたのであり、大変な不安を抱いてやって来たところでの宮のこうした歓待ぶりですから、小さくない感動があると思うのですが、…。

 そのころ薫は、その二条院にほど近い、自分が修復中の三条宮に来ていて、そこから情報収集していたのですが、無事到着と聞いて、ほっとする一方で、とうとうこうして宮に取られてしまったと思うと、一人ひそかに臍を噛む思いです。》

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