【現代語訳】

 弁は、
「このようなお供にも、思いもかけず長生きがつらく思われますのに、人も不吉に見たり思ったりするにちがいないでしょうから、今は世に生きている者とも人に知られますまい」と言って出家をしていたのを、しいて召し出して、たいそう感慨深く御覧になる。いつものように、昔の思い出話などをおさせになって、
「ここには、やはり時々参るだろうが、たいへん頼りなく心細いので、こうしてお残りならば、たいへんしみじみとありがたく嬉しいことだ」などと、最後まで言い終わらずにお泣きになる。
「厭わしく思えば思うほど長生きをする命がつらく、またどう生きよといって、先に逝っておしまいになったのだろうかと恨めしく、この世のすべてを情けなく思っておりますので、罪もどんなにか深い事でございましょう」と、思っていたことをお訴え申し上げるのも愚痴っぽいが、たいへん上手にお慰めになる。
 たいそう年をとっているけれども、昔美しかった名残の黒髪を削ぎ落としたので、額のあたりの様子が変わって少し若くなって、それなりに品の好い感じである。
「思いあぐねた果てに、どうしてこのような姿にして差し上げなかったのだろう。それによって命が延びるようなこともあったろうに。そうしたら、どんなにか親しく語らい申し上げられたろうに」などとあれこれとお考えになると、この人までが羨ましいので、姿を隠している几帳を少し引いて、こまやかにお話しになる。なるほどすっかり悲しみに暮れている様子だが、何か言う態度や心づかいは並々でなく、嗜みのあった女房の面影が残っていると見えた。
「 さきに立つ涙の川に身を投げば人におくれぬ命ならまし

(年を取って涙が先立つのですが、その涙の川に身を投げたら、死に後れしなかった

でしょうに)」
と、泣き顔になって申し上げる。
「それもとても罪深いことだ。彼岸に辿り着くことが、どうしてできようか。それほどではないことなどで、深い悲しみの底に沈んで過ごすもつまらない。すべて、皆無常だと悟るべき世の中なのだ」などとおっしゃる。
「 身を投げむ涙の川に沈みても恋しき瀬々に忘れしもせじ

(身を投げるという涙の川に沈んでも、恋しい折々を忘れることはできまい)
 いつになったら、少しは思いが慰むことがあろうか」と、終わりのない気がなさる。
 帰る気にもなれず物思いに沈んで日も暮れてしまったが、わけもなく外泊するのも人が咎めることであろうかと、仕方ないのでお帰りになった。

 

《中の宮の上京が決まった今、いつの間にか弁の君は出家していました。彼女としては、最大の懸案と考えていたらしい、柏木の最期を薫に伝え、手紙を薫に渡すということができて(橋姫の巻第四章第三段)、そして宇治の姫と薫の橋渡しの役目を勤めながら、それもかなわないままに大君は亡くなり、このたび中の宮の上京が決まって、いよいよ自分の役目は終わったと考えた、ということでしょうか。

薫に柏木の最期を語った時「年も六十に少し届かないほど」で、あれから三年が経っていますから、当時としては大変な高齢と言っていいでしょう。なるほどと思われる身の処し方です。

 薫はそういう弁を「たいへん上手に」慰めながら、一方で、いっそ大君を彼女の希望でもあったらしい尼姿なってもらった方がよかった、と思って見ます。彼女はそういう希望を病床で妹に話していました(総角の巻第六章第八段)から、彼も承知していたのでしょう。そして今、もしそうしていれば、あるいは「命が延びるようなこともあった」かも知れない、…と思うのです。しかし、それは結局亡くなってしまったから思うことで、生前であれば、あの時の中の宮たちと同じく「とんでもない御こと」と思ったに違いありません。

 そして歌のやりとりですが、『評釈』が「薫の歌と、歌の前にはさまれた薫の詞は矛盾している」として、しかし「(その)矛盾は、そのまま薫の心の矛盾という事にならないだろうか。…それが薫を一見偽善者めかしもし、またよけいに自らを事情に深入りもさせる」と言います。しかし、「薫の詞」はただ「たいへん上手にお慰めになる」一環として弁に言われたもので、歌は物語の上では返歌として対応していますが、弁に向かって言われたのではなく、彼の内心を物語っていると読む方がいいのではないでしょうか。

 ともあれ、薫は匂宮のものとなった中の宮がいる宇治に泊まり込むことは、「人が咎めることであろう」と思うと、思いは残りますが、用の終わった以上、帰るしかありません。》

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