【現代語訳】1

 翌日、お手紙を差し上げなさった。僧都にもそれとなくお書きになったのであろうが、尼上には、

「取り合って下さらなかったご様子に気がひけまして、思っておりますことをも、十分に申せずじまいになったことでした。これほどに申し上げておりますことにつけても、並々ならぬ気持ちのほどを、お察しいただけたら、どんなに嬉しいことでしょうか」

などと書いてある。中に、小さく結んで、

「 おもかげは身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど

(山桜の面影がわたしの身から離れません、心のすべてをそちらに置いて来たのですが)

 夜間に吹く風が、心配に思われまして」

と書いてある。ご筆跡などはさすがに素晴らしくて、ほんの無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほどに素晴らしく見える。

「まあ、困ったこと。どのようにお返事申し上げましょう」と、お困りになる。

「行きがかりからのお話は、ご冗談ごとと存じられましたが、わざわざお手紙を頂戴いたしましたのでは、お返事の申し上げようがなくて。まだ『難波津』の歌さえ、ちゃんと書き続けませんようなので、お話するかいもありません。それにしても、

  嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ

(激しい山風が吹いて散ってしまう峰の桜に、その散るまでの短い間だけお気持ちを寄せられたように頼りなく思われます)

ますます気がかりでございまして」

とある。

 

《山から帰参したその日、久し振りに会った葵の上に失望した源氏は、その翌日、早速北山に手紙を送りました。

僧都宛にも書いたようですが、そちらの内容は書かれません。『評釈』は、作者にとって男同士の手紙(それは漢文体の硬いものであり、「物語の文体に合致」しないからだとしていますが、それよりもやはりあの僧都は彼にとって煙たい人で、あのようににべもなく断られた以上、重ねては言いにくかったからではないでしょうか。いかにも若い未熟な男性の、同性の年功者に対する畏れ、憚りといった感じが出ていて、おもしろく思われます。

それに比べて、尼上に対しては、甘えと自分の魅力への自信と、したがっていささかの侮りがあるといっていいでしょう。

源氏の手紙の中の「小さく結んで」あったのはあの少女宛のもののようです。歌の「山桜」はもちろんあなた(少女)を暗示しています。

「難波津」は子供が最初の手習いに書く歌、それをまだ続け字で書けない幼なさで、お手紙を戴いても、ろくに返事も書けないほど幼い子供なのです、という尼君の返事です。

彼女は、源氏の申し出を、あくまで「行きがかりからのお話(原文・ゆくての御こと)」、たまたま思いつかれただけの気まぐれと流してしまいたい気持のようです。あるいは彼女の耳には、源氏の艶聞のいくらかも聞こえていたのかも知れません。》


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