【現代語訳】1

 姫宮は女房がどう思っているだろうかと気が引けるので、すぐには横におなりになれず、

「頼みにする親もないまっまに世の中を生きてゆく身の上がつらいのに、仕えている女房たちまで、つまらない縁談の事を何やかやと、次々に並べて言い出すようなので、望みもしない結婚をすることになってしまいそうだ」と思案なさる一方で、
「この人のご様子や態度がいやらしいところはなさそうだし、故宮もそのような気持ちがあるならばと、時々おっしゃりお考えのようだったが、私自身はやはりこのままで過ごそう。自分よりは容姿も容貌も盛りで惜しい感じの中の宮を、人並みに結婚させたら、それこそどんなに嬉しいだろう。人の上のことについてなら、心の及ぶ限り後見しよう。自分の身の世話は、他に誰が見てくれようか。
 この人のお振舞がありふれていい加減であるならば、このように親しんできた年月のせいで気を緩める気持ちもありそうなのだが、立派すぎて近づきがたい感じなのも、かえってひどく気後れするので、自分の人生はこのままで最後まで過ごそう」と思い続けて、つい声を立てて泣き泣き夜を明かしなさったが、そのため気分がとても悪いので、中の宮が臥していらっしゃった奥の方に添ってお臥せりになる。
 

《部屋の外で薫が焦点の定まらない思いにぼんやりしているころ、中の大君は自分の行く末を懸命に思い定めようとしていました。

さて、ここが、大君をどう考えるのかという点で、大きなポイントとなる場面です。

 彼女は薫を「ご様子や態度が疎ましくはなさそうだ」と思い、故宮も反対ではなかったのに、どうして薫の気持ちを受け入れられないのか、それについて自分の言葉で二つのことを挙げています。

 一つは、「(薫が)立派すぎて近づきがたい感じ(原文・はづかしげに見えにくきけしき)」であること、もう一つは「自分の身の世話は、他に誰が見てくれようか(原文・みづからの上のもてなしは、また誰かは見あつかはむ)」、つまり自分には後見してくれる人ないこと、だと言っています。

 そして、そう考えた結果、自分ではなく妹の中の君を薫に嫁がせようと考えます。「容姿も容貌も(自分よりも)盛りで惜しい感じ」だし、そうすれば自分がいるから後見の問題もない…。そうして「自分の人生はこのままで(独身で)最後まで過ごそう」、…。

しかし、そう考えながらそのあと彼女は「つい声を立てて泣き泣き夜を明かしなさった」のでした。

彼女としては、この結論は、本当は不本意だったのです。それは、薫に傾く心があったことはもちろんで、だからこそ昨夜も一方で嫌だという思いがありながら、「すげないお扱いもしにくくて、お相手をなさ」った(第四段)のですし、薫に髪を掻きやられ顔を見られることさえ許したのでしょう。

それでもなお薫の気持ちを受け入れられない理由は、ここまで直接語られることのなかったもう一つのことがあるようです。

それは、彼女には「現世否定的な考え方が根本に潜んでおり、その心理には仏教の教理の著しい浸透がみられる」(『構想と鑑賞』)という点です。

それについては、弁の君が薫に「どのようにでもあれ、世間並みにどうこうなどと、お考えになっていらっしゃるご様子ではございません」と語っている(第三段2節)」ことからも窺えますし、「故人(父宮)も(結婚などの話について)一向に何一つ、こういう場合にはああいう場合にはなどと、将来の心構えの中でも言い置かれることもなかった」という(第二段)父宮の意志を抵抗なく受け入れて、言われたままに守ろうとする気持ちがあることが、その傍証となるでしょう。

敬愛する父の悲運を長い間間近に見続けてきた娘として、その心の底に現世否定の(というか、現世の在り方に怖れを抱くという)心情が育ってしまうことは、自然な成り行きの一つであると思われます。読者はここまで、故宮の長女としての生き方を通して、なんとなくそういう感じを受けながら読んできたのではないでしょうか。

例えば『狭き門』(ジイド)のアリサのような生き方が、彼女に感じられるように思います。もちろん、アリサが西欧人らしく意志的に宗教的生活に積極的意味を見出すべきだと考えていたのに対して、大君は自然とそういう感性を育ててしまっている、という点では対照的とも言えるのですが、その純真さと現世否定の気持ちにおいて共通し、大君の方は受容的たおやかさの点での魅力を増しているように見えます。

薫においては生い立ちのコンプレックスが道心を導いたのに対して、大君においては現世恐怖の心が自己犠牲を導き、身の上のコンプレックス(田舎者であり後見もなく美しくないという思い込み)に意味を与えるものとなって自ら自分の将来を閉ざした、というようなことでしょうか。それが彼女にとって自覚的なものではないので、自分の出した結論に泣くしかなかったのだというふうに考えたいと思います。》

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