【現代語訳】

 雪や霰が降りしきるころはどこもこのような風の音であるが、今初めて決心して入った山里住まいのような心地がなさる。女房たちなどは、
「ああ、新しい年がやって来る。心細く悲しいことばかりなのに、心改まる春を待ちたいものだわ」と、気を落とさずに言う者もいる。

「難しいことだ」とお聞きになる。
 向かいの山でも、季節毎の御念仏に籠もりなさった縁故で人も行き来していたが、阿闍梨も、いかがですかと、一通りはたまにお見舞いを申し上げはしても、今では何の用事でちょっとでも参ろうか。
 ますます人目も絶え果てたのも、それが当たり前のこととは思いながらも、まことに悲しい。気にも留めなかった山賤も、宮がお亡くなりになって後は、たまに覗きに参る者は、嬉しい気がなさる。この季節の事とて、薪や木の実を拾って参る山賤どももいる。
 阿闍梨の庵室から、炭などのような物を献上すると言って、
「長年馴れましたご奉仕が、今年を最後として絶えてしまうのが、心細く思われまして」と申し上げる。必ず冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣などを贈っていたのをお思い出しになってお遣りになる。法師たち、童などが山に上って行くのが見え隠れして、たいそう雪が深いのを、泣く泣く立ち出てお見送りなさる。
「お髪などをお下ろしなさった、そのようなお姿ででも生きていて下さったら、このように通って参る人も、自然と多かったでしょうに。どんなに寂しく心細くても、お目にかかれないこともなかったでしょうに」などと、語り合っていらっしゃる。
「 君なくて岩のかけ道絶えしより松の雪をもなにとかは見る

(父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今、松の雪を何と見ま

すか)」
 中の宮、
「 奥山の松葉に積もる雪とだに消えにし人を思はましかば

(奥山の松葉に積もる雪とでも、亡くなった父上を思うことができたらうれしいこと

ですのに)」
 うらやましいことに、消えてもまた雪は降り積もることよ。

 

《山里に霰や雪が降って、、姫たちは父のいない初めての冬を迎え、こんなにも寂しいところだったかと、改めて周囲を見まわす気持です。

 もともと尋ねてくる人は多くはない暮らしだったのですが、それもますます少なくなって、邸はすっかり寂しくなってしまいました。

時たま、その土地の木樵のような人が、以前からのよしみを忘れずにやってきて、雑用をつとめるくらいですが、これまで気にも留めなかったそういう人々の姿を見るだけで「嬉しい気がなさる」ほどです。原文は「めずらしく思ほえたまふ」で、『辞典』は「めづらし」を「見ることを連ねたいというのが原義」と言い、「稀に見ること聞くことができて嬉しい、喜ばしい」の意を挙げますが、現代語でも「あら、お珍しい」などの挨拶になると、その意味が生きているわけです。

宮が師事した阿闍梨はすっかり訪れがなくなりましたが、それでも寺から、例年のこととなっていた年末の炭が届くことだけは続いていました。お返しにこれも以前どおり「冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣」を持たせるのでしたが、その使いが雪の中に消えていくのを見ると、また後に取り残されたような気がして、心細さが募ります。

見送る大君の目に雪をかぶった松の木がうつり、妹に、あなたはあの松の雪をどう見ますか、と問いかけたのでしたが、彼女自身はどう見たのでしょうか。このやり取りの歌はちょっとよく分からない気がします。

『評釈』は「父君の生前、姫君二人はこの松の雪を見ていたのである」と言いますが、これはどういう意味なのでしょうか。さらに「松に『待つ』をかけた」と言いますから、父の山寺からの帰りを待ちながら、その方角にあるこの松を眺めていた、ということでしょうか。

中の君の歌は、あの雪が消えてもまた積もるように、「消えにし人」もまた帰ってきて下さるのであればいいのに、ということのようですが、どうも少し理屈っぽいような気がします。

なお、言い遅れましたが、中の君は、この前、匂宮から「牡鹿鳴く」の歌が送られたとき(第三章第二段)から本文では「中の宮」呼ばれています。》

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