【現代語訳】

 老女がとんでもないご代役に出て来て、昔や今のあれこれと、悲しいお話を申し上げる。世にも稀な驚くべきことの数々を見て来た人だったので、このようにみすぼらしく落ちぶれた人とお見捨てになられず、たいそう優しくお相手なさる。
「幼かったころに故院に先立たれ申して、ひどく悲しい世の中だと悟ってしまったので、成長して行く年とともに、官位や世の中の栄花も何とも思わなくなって。
 ただ、このようにお静かな生活などがお気持ちに叶っていらっしゃったのに、このようにあっけなく先立ち申されたので、ますます強く無常の世の中が思い知られる心にもなったが、おいたわしい境遇で後に遺されたお二方のことが出家の足かせだなどと申し上げたりするのは懸想めいたように聞こるけれども、この世に永らえることになるにしても、あの遺言を違えずに、お付き合い申したいと思っている。
 実は、思いがけない昔話を聞いてからは、ますますこの世に跡を残そうなどとは思われなくなったのだよ」と泣きながらおっしゃるので、この老女はそれ以上にひどく泣いて、何とも申し上げることができない。ご様子などがまるであの方そっくりに思われなさるので、長年来忘れていた昔の事までを重ね合わせて、申し上げようもなく涙にくれていた。
 この人は、あの大納言の御乳母子で、父親はこの姫君たちの母北の方の叔父であり左中弁で亡くなった、その人の子なのだった。長年、遠い国に流浪して、母君もお亡くなりになって後、あちらの殿には疎遠になり、この宮邸で引き取っておいて下さったのであった。人柄も格別というわけでなく、宮仕えずれもしていたが、気の利かないでもないと宮もお思いになって、姫君たちのご世話役のようになさっていたのであった。

 

《下がって行った美しい姫君に代わって、老女が「とんでもないご代役(原文・こよなき御かはり)」として出てきました。ここで『集成』が「前に『古人召し出てたり(老女を召し出す)』(第四段)とあった弁が、ようやく出て来たのである」と言います。呼ばれて出て来たのに、「とんでもない代役」と言われては、弁も立つ瀬がないように思われて、ひょっとしてここの「こよなき」はいい意味で使われているのではないかという気もします。

 薫はその老婆に、その前では肩肘を張らなくてよい、乳母のような姿を思ったのでしょうか、自分自身のこと、八の宮への思いや自分の姫君たちをお世話しようという決心(というような激しいものではなく、もっと自然な思いのように思われますが)を、しみじみと語りました。

 その様子に弁の君は、昔の柏木の姿が重なるような気がして、涙しながら聞いています。

その懐旧の気持から、彼女の生い立ちが改めて語られて、以前の話(橋姫の巻第四章第四段)にはなかった彼女とこの姫君との繋がりが明らかにされます。それによるとこの人は、姫たちから見ると母方の祖母の弟の娘、つまり大叔父の娘(「従妹違い」、ちなみに弁の君から見た姫君は「又姪」)であって、彼女は甥である八の宮に世話になっていたということになるようです。

「人柄も格別というわけでなく、宮仕えずれもしていた」と言いますが、男にだまされて「西海の果てまで連れて」行かれ、長く辛酸を舐めた挙げ句に「まるで別世界に来た心地で上京」(橋姫の巻同)して来たのであれば、例えばいくらかのこすからさやみみっちさなども身について、改めて宮仕えするにもかつての都人であった当時のような優雅な気持ばかりで勤めることもできなかったでしょうから、都の人に品が無く見られるのもむりはないと思われます。

しかし、普通の都人にはそう見られても、八の宮は、縁者であることもあってなのでしょう、彼女がそれなりに「気の利かないでもない(原文・ここちなからぬ)」者と思って引き取ったのでした。もっとも、彼を現世に引き止める唯一のものであった姫君たちの世話をさせてきていたというのですから、その信用は、案外この言葉以上のものがあったのかも知れません。》

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