【現代語訳】

「年月を過すにつけても、まことに暮らしにくく、堪え難いことが多い世の中ではあるが、見捨てることのできない大切な人のご様子や人柄に、引き止められる絆しとして過ごして来たのだが、独り残ってますます味気ない感じがすることだ。幼い子供たちをも、独りで育てるには、身分格式のある身なので、まことに愚からしく、外聞の悪いことであろう」というお気持ちになられて、出家の本意も遂げたくお思いになったが、世話を託す人もないまま残して行くのをひどくおためらいになりながら、年月がたつと、それぞれ成長なさっていく姿や器量が美しく素晴らしいので、朝夕のお慰めとして、自然とそのまま年月をお過ごしになる。
 後からお生まれになった姫君のことを、お仕えする女房たちも、

「まあ、時期も悪くて」などとぶつぶつ呟いては、身を入れてお世話申し上げなかったが、臨終の床で、何もお分りにならない時ながら、この子をとても気がかりに思って、
「ただ、この姫君をわたしの形見とお思いになって、かわいがって下さい」とだけ、わずか一言、宮にご遺言申し上げなさったので、前世の因縁も辛い時だが、

「そうなるべき運命だったのだろうと、ご臨終と見えた時までとてもかわいそうに思って、気遣わしげにおっしゃったことよ」とお思い出しになりながら、この姫君を特に、とてもかわいがり申し上げなさる。器量は本当にとてもかわいらしく、不吉なまで美しくいらっしゃった。
 姫君は、気立てはもの静かで優雅な方で、外見も物腰も気高く奥ゆかしい様子でいらっしゃる。世話をしたくなるような高貴な点は勝っていて、姉妹どちらもそれぞれに大切にお育て申し上げなさるが、思い通りに行かないことが多く、年月とともに、宮邸の内も何となく段々と寂しくなって行くばかりである。
 仕えていた女房も、将来の見込みがない気がするので辛抱することができず、次々と後を追ってお暇を取って散って行き、若君の御乳母も、あのような騒動に、しっかりした人を選ぶことがお出来になれなかったので、身分相応の浅はかさで、幼い君をお見捨て申し上げてしまったので、ただ宮がお育てなさる。

 

《重ねてですが、前巻に比べて本当にすらりと読める、分かりやすい話になっているように思われます。

八の宮の現世への恨めしさ、その思うに任せない暮らしの中での姫君たちへの気遣い、世間体のはばかり、そして出家の願いなどなどが錯綜する一方で、次第に立派に美しくなっていく姫たちのかわいさに「自然とそのまま年月をお過ごしになる」という気持が、結構行きつ戻りつの話なのに、素直に理解されます。

と、ここまで素直に流れてきた話が、中の君の誕生についての「まあ、時期も悪くて(原文・いでや、をりふし心憂く)」という言葉によってアクセントがつきます。

ここまでは、様々な不遇はありながらも、一家は身を寄せ合って静かに暮らしていたようですが、妹君の誕生によって北の方が亡くなると、この言葉からも分かるように、様相が一転しました。この姫に仕える女房が「北の方の逝去された折も折と、愚痴をこぼす」(『集成』)だけでも、いかがなものかと思われますが、さらに、「身を入れてお世話申し上げなかった」というのです。こういう由緒のある家なら、主家のピンチ、この姫たちが一人前におなりになるまでは、必ずや自分の手で立派にお育て申して、とみずから気合を入れる女房が一人や二人いてもよさそうなものですが、北の方の逝去という「騒動」のためにいい乳母を探すこともできないままで、どうやらこの宮一家の不遇には、女房に恵まれなかったこともあるようです。

あるいはこれまでは、北の方がそういう不出来なただの勤め人気質の女房たちを上手にコントロールしてこられたのが、その北の方が亡くなられて、タガが外れたということなのかも知れません。

こうした女房たちを宮自身が相手をされるのは、さぞかし大変なことだろうと思われます。こうしてじりじりと進んでいくそういう不如意の生活の中で、宮の幼い娘への愛情は不憫さと重なって、格別の愛着になります。

二人の姫君が、器量では中の君、人柄や品格では大君というふうに、いかにもありそうな形に改めて紹介されますが、そういう姫君の魅力では女房たちの生活の不安を抑える力にはなり得ず、お世話するもの達が次々に見切りを付けて去って行ってしまいました。》

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