【現代語訳】

 求婚申し上げた人びとで、それぞれ立派に昇進して結婚なさったとしても不似合いでない方は、大勢いることよ。その中で、源侍従と言って、たいそう若く物足りないと見えた方は宰相中将になって、匂うよ、薫よと、聞き苦しいほどもてはやされている方は、なるほど人柄も落ち着いて奥ゆかしいので、高貴な親王方や大臣が娘を結婚させようとおっしゃるのなども聞き入れないなどと聞くにつけても、

「あの頃は若く頼りないようであったが、立派に成人なさったようだ」などと言っていらっしゃる。
 少将であった方も、三位中将とか言って評判が良い。
「器量も立派だった」などと、意地悪な女房たちは、かげ口をしたり、
「厄介な御様子の所に参るよりは」などと言う者もいて、お気の毒に見えた。

この中将は、依然として思い染めた気持ちがさめず、情けなく辛くも思いながら、左大臣の姫君を得たが、全然愛情を感じず、「道の果てなる常陸帯の(いつかほんのちょっとでも逢いたいものだ)」と、手習いにも口ぐせにもしているのは、どのように思ってのことであろうか。
 御息所は、気苦労の多い宮仕えの煩わしさに、里にいることが多くおなりになってしまった。尚侍の君は、思っていたようにならなかったご様子を、残念にお思いになる。

内裏の君は、かえって派手に気楽に振る舞って、大変風雅に奥ゆかしいとの評判を得て、宮仕えなさっている。

 

《大君が苦労をしている一方で、かつて彼女の周りにいた若者たちは時とともに立派になっていきました。中でもしばらく物語の舞台に登場の機会のなかった源侍従(匂宮)は、すっかり立派になって、あの薫と並んで、話題を二分するといった様子です。

玉鬘は、髭黒の遺志を受けて、「姫君を、まったく臣下に縁づけようとはお思いではなく」(第一章第三段)ここまで来たのでしたが、今となってみると、あの「臣下」の求婚者たちはみなそれぞれに立派に出世して、玉鬘は、この頃の大君の苦労を見るにつけ、これならあのときそちらに嫁がせればよかったという気持になりそうです。

 あの蔵人の少将でさえも今では位も上がり世評も高く、玉鬘の侍女たちまでが、大君は、院ではなくて、あの方に嫁がれた方がよかったと陰口を聞く始末です。

 建築の世界で、一軒の家を設計する時、女性に任せると、往々にしておもちゃの部屋を組み合わせたような、実用に向かないものになりがちだという話を聞いたことがありますが、目の前の小さな部分への関心が先立って、全体的な構想が脱けてしまうというようなことではないかと思います。もちろんそれは、逆に男の目は、相対的に細部が粗雑になりがちだということでもありますが、この玉鬘の選択は、こうなってみると、夫の遺志一点に目が向きすぎていたということになりそうです。

とは言え、所詮こういうことは結果論に過ぎません。

さて、その蔵人の少将は、いまなお大君への思いが消えずにいます。一方で大君は院での生活に耐えられない思いで「里にいることが多くおなりになってしまった」と言います。源氏と藤壺は、事情はもちろん違いますが、そういう時期に事件を起こしてしまったのだったということを思い出すと、読者としては、これは何事か起こるに違いないと思ってしまいます。

しかしそうはならず、その一方で、中の君はさいわいに帝のお側で悠々とした暮らしができている、と進みます。こういう順序で書かれると、ただ二人の対照がはっきりするばかりで、話をどこに持って行こうとしているのか、分からなくなります。

もう一つ、ここの匂宮の話は、「匂うよ、薫よ」も、高家からの結婚話に耳を貸さないということもすでに初めに語られた話で(匂兵部卿の巻第一章第一、二段)、今更と思われますし、この人を挙げておきながら、そのことだけで終えてしまっているのも、落ち着きません。新三位中将の話のダシに使っていいような人ではないと思うのですが…。》

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