【現代語訳】

 数年たって、また男御子をお産みになった。大勢いらっしゃる御方々にこのようなことはなくて長年になったが、並々でなかったご宿世などを、世人は驚く。院の帝はそれ以上にこの上なくめでたいと、この今宮をお思い申し上げなさった。退位なさらない時であったら、どんなにか意義のあることであったろうに。

「今では何事も栄えがしない時なのを、まことに残念だ」とお思いになるのであった。
 女一の宮をこの上なく大切にお思い申し上げていらっしゃったが、このようにそれぞれにかわいらしく、増えていかれるので、珍しく思われて、たいそう格別に寵愛なさるのを、女御も、

「あまりにこういう有様では不愉快だろう」と、お心が穏やかでないのであった。
 事ある毎に、面白くない面倒な事態が出て来たりなどして、自然とお二方の仲も隔たるようである。世間の常として、身分の低い人の間でももともと本妻の地位にある方に関係のない一般の人も味方するもののようなので、院の内の身分の上下の女房たちは、まことにれっきとした身分で、長年連れ添っていらっしゃる御方にばかり道理があるように言って、ちょっとしたことでも、この御方側を良くないように噂したりなどするのを、御兄君たちも、
「それ御覧なさい。間違ったことを申し上げたでしょうか」と、ますますお責めになる。

心穏やかならず、聞き苦しいままに、
「このようにではなく、のんびりと無難に結婚生活を送る人も多いだろうに。この上ない幸運に恵まれたわけではないでは、宮仕えの事は、考えるべきことではなかったのだ」と、大上はお嘆きになる。

 

《玉鬘がさまざまなことにあれこれと思い悩んでいるうちに数年が経って、大君が今度は男の子を産みました。院は大変な喜びようで、寵愛はますます強くなるのですが、その分、大君への周囲の嫉視もまた、ますます強くなります。さすがに女御もこうなると娘の立場を思って「お心が穏やかでない」のでした。こうして女御と新参の大君との間に少しずつ溝が広がっていきます。

 「もともと本妻の地位にある方」について、『評釈』が「院にはもちろんあの秋好む中宮がいられるから、序列からいえばこの方が最も上である。…(しかし)今の場合、どうも中宮ではなくて弘徽殿の女御の方を考えているようである」といいます。

そういえばこの人がこの問題に一度も関わって来なかったのは、不思議です。同書は「光る源氏ゆかりの人々が対立することは、物語ではぐあいがわるい」のだと弁明しますが、展開上都合が悪いからといって主要な人を読者に断りもなく排除するのは、まずいでしょう。私自身忘れ読んできたので、大きなことは言えませんが、気がついてしまうと、大変落ちつきません。作者も忘れていたのではないでしょうか。もし登場させていれば、もう少し穏やかな着地点ができたかも知れませんが、物語はそのまま先に進みます。

兄弟たちは、またしても母を責めます。

やっとのことで子育てを終わって、静かに晩年を過ごせると思っていると、今度は別の問題が起こってきて、母親は次から次に心を傷めることがやむことはありません。人の一生とはそういうもののようです。

また、大君についても、息子たちはそう言うのですが、彼らの願いに添って帝のところに行っていれば、それはそれでまた、別の形で同じようなことが起こらないとも限りません。結局どこに行っても、、何をしても、平和・幸福という状態を長く保つのは、大変な幸運によらなければならないもののようです。

余談ですが、昔学生仲間が雑談の中で、「幸福というやつは、暗い部屋にいて、雨戸の隙間から、外を駆け抜けていく白い馬を見るようなものだ」としゃれたことを言いました。》

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