【現代語訳】

 三月になって、咲く桜がある一方で空も覆うほど散り乱れて、ほぼ桜の盛りのころ、静かに暮らしていらっしゃるお邸は、隠れることもなく、端近に出ていても咎められることもないようである。その当時、十八、九歳くらいでいらっしゃったろうか、ご器量も気立ても、それぞれに素晴らしい。

姫君は、とても際立って気品がありはなやかでいらっしゃって、なるほど臣下の人に縁づけ申すのは、ふさわしくないようにお見えである。桜の細長に山吹襲などで、季節にあった色合いがやさしい感じに重なっている裾まで愛嬌があふれ出ているように見えるそのお振る舞いなども洗練されて、気圧されるような感じまでが加わっていらっしゃる。
 もうお一方は、薄紅梅に、お髪がつややかで、柳の枝のようにたおやかに見える。たいそうすらりとして優雅で落ち着いた物腰で、重々しく奥ゆかしい感じは勝っていらっしゃるが、はなやかな感じは姫君とは一段劣っていると、女房は思っている。
 碁をお打ちになろうとして向かい合っていらっしゃる髪の生え際や髪の垂れかかっている具合など、たいそう見所がある。侍従の君が審判をなさろうとして近くに控えていらっしゃると、兄君たちがお覗きになって、
「侍従のおぼえは大したものになったのだね。碁の審判を許されたとはね」と言って、大人ぶった態度でお座りになったので、御前の女房たちは、あれこれ居ずまいを正す。中将が、
「宮仕えが忙しくなりましたのでこの人に出し抜かれたのは、まことに残念なことだ」と愚痴をおこぼしになると、
「弁官はまして家でのご奉公はお留守になってしまうからと、そうお見捨てになっていいものでしょうか」などと申し上げなさる。碁を打つのを止めて、恥ずかしがっていらっしゃる様子が、たいそう美しい感じである。
「宮中辺りなどに出かけきましても、亡き殿がいらっしゃったら、と存じられますことが多くて」などと、涙ぐんで拝し上げなさる。二十七、八歳でいらっしゃったので、とても恰幅がよくて、姫君たちのご様子を、何とかして昔父君がお考えになっていた通りにしたいものだと思っていらっしゃる。

《さて、玉鬘の噂の二人の姫の登場ですが、「端近に出て」いるのでよく見える、というかたちで紹介されます。「隠れることもなく(原文・まぎるることなく)」は多くは「さしたる用事もなく」(『集成』)というような意味に訳すようですが、ここは『評釈』に従いました。

真木柱の「大君」と「中の君」の二人(あちらは十七、八歳でした・紅梅の巻第一章第二段)と混乱しそうですので、気を付けながら読んでいきます。

もっとも、あの姉妹に比べると、こちらの姉妹は数段美しいようで、ずいぶん丁寧な褒めようです。姉姫は華やかに美しく、妹姫は奥ゆかしく優雅といった感じでしょうか。

その美しい姉妹が碁を打ち始めました。女性の碁と言えば、五十年近く前の空蝉と軒端の荻母子が思い出されます(空蝉の巻第三段)が、この姉妹には軒端の荻のような天真爛漫はなく、ずいぶん上品な趣です。

藤侍従が立ち会いを務めているのですが、そこに「兄君たちがお覗きになって」、玉鬘の兄妹五人みなが勢ぞろいですが、兄二人があれこれとからかうので、碁がなかなか進みません。

爛漫の桜の下での、気がかりはありながらも幸せな家族の団らんの図ですが、そういう様子を見ながら、長兄らしい中将は、ひとり別のことを考えていました。

 彼は、父・髭黒を思い出して、もし生きておられたらこの妹たちももっといい思いをさせられただろうにと、十歳近くも年長で、父親代わりを背負っている兄らしい思いを抱いて、残念でもあり、また自分の力不足も思われてなのでしょう、涙ぐんでいます。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ