【現代語訳】2

朝、四位の侍従のもとから、邸の侍従のもとに、
「昨夜はとても酔っぱらったようだが、皆様はどのように御覧になったであろうか」と、御覧下さいとのおつもりで、仮名がちに書いて、
「 竹河のはしうちいでしひと節に深き心の底は知りきや

(竹河の歌を謡ったあの文句の一端から、深い心のうちを知っていただけましたか)」 と書いてある。寝殿に持って上がって、方々が御覧になる。
「筆跡などもとても美しく書いてありますね。どのような人が今からこのようになにもかもが立派なのでしょう。幼いころ、院に先立たれ申し、母宮がしまりもなくお育て申されたが、やはり人より優れているのでしょう」と言って、尚侍の君は、自分の子供たちの字などが下手なことをお叱りになる。

返事は、なるほど、たいそう未熟な字で、
「昨夜は、水駅とおっしゃってお帰りになったことをお咎め申しておりました。
  竹河に夜をふかさじといそぎしもいかなる節を思ひおかまし

(竹河を謡って夜を更かすまいと急いでお帰りになったくせに、どのようなことを心に止めておけとおっしゃるのでしょう)」

 ほんとうにこの事をきっかけとして、この君のお部屋にいらっしゃって、気のある態度で振る舞う。少将が予想していた通り誰もが好意を寄せていた。侍従の君も、若者らしい気持から、近い縁者として明け暮れ親しくしたいと思うのであった。

 

《翌朝、薫は、後朝のように歌を送りました。昨日、彼には珍しく、「今宵は少し気を許して冗談などを言」ったことを、人々がどう思ったのか、と気になった、ということにしての歌です。姫君たちも「御覧ください」と「仮名がち」の手紙です。

その内容はともかく、女たちはまずその筆跡の見事さを話題にしますが、「母宮がしまりもなくお育て申された」とは、なんとも辛辣な批評です。

「(玉鬘は)『後のおほいどの』の北の方として、一切を支配した過去がある。…尚侍は自信に満ちている。…十一、二歳年下の朱雀院の女三の宮を、…一言のもとに批評し去った」と『評釈』が言います。この巻の初めには、主人の髭黒の死後、人との付き合いも少なくなって「お邸の中はひっそりとなってゆく」と語り始められていましたが、それでもプライドは昔のままなのです。

玉鬘は、薫の「今からこのようになにもかもが立派」なのは、決して親の教育などによるのではなく、天性のものだと言っているわけですが、思い返せば源氏は「七歳におなりになったので、読書始めなどをおさせになったところ、この世に類を知らないくらい聡明で賢くいらっしゃる」(桐壺の巻第三章第二段)という具合でしたが、この人はりっぱにその後を受け継いで「物語の主人公たる資格」(『評釈』)を身につけているのです。

そして玉鬘は、返す刀で、今度は「自分の子供たちの字などが下手なことをお叱りになる」と、こちらもばっさりです。

それでも代筆は沽券に関わるのでしょうか、息子に自分で書かせたようです。立ち寄っただけだと言ってそそくさとお帰りになられたのに、こちらに一体どんな「一節」を残されたというのでしょう、と、筆跡はともかく、なかなか洒落た返事のように思われます。これはほとんど、もう一度来てきちんと「一節」をお示し下さい、と言っているわけで、「ほんとうにこの事をきっかけとして、この君のお部屋にいらっしゃって」と、来訪が続くことになりました。》

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