【現代語訳】

「昨日今日と思っておりましたうちに、ご一周忌もだんだん近くなってまいりました。どのようになさるお積もりでいらっしゃいましょうか」とお尋ね申し上げなさると、
「何ほども世間並み以上のことをしようとは思わない。あの望んでおかれた極楽の曼陀羅などを今回は供養しよう。経などもたくさんあったが、某僧都がすべてその趣旨を詳しく聞きおいたそうだから、それに加えてしなければならないことも、あの僧都が言うことに従って催そう」などとおっしゃる。
「このようなことをご生前から特別にお考え置きになっていたことは来世のため安心なことですが、この世ではかりそめのご縁であったのだとお思いなりますにつけて、お形見と言えるようにお残し申されるお子様さえいらっしゃらなかったのが、残念なことです」と申し上げなさると、
「それは、縁浅からず寿命の長い人びとでも、そのようなことはだいたいが少なかった私自身の拙さなのだ。そなたこそ、家門を広げなさい」などとおっしゃる。
 何ごとにつけても、堪えきれないお心の弱さが恥ずかしくて、過ぎ去ったことをたいして口にお出しにならないが、待っていた時鳥がかすかにちょっと鳴いたのも、「いかに知りてか(どうして分かるのか)」と聞く人の胸は落ち着かない。
「 なき人をしのぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす

(亡き人を偲ぶ今宵の村雨に濡れて来たのか、山時鳥よ)」
と言って、ますます空を眺めなさる。大将、
「 ほととぎす君につてなむふるさとの花橘は今ぞさかりと

(時鳥よ、あなたに言伝てしたい、古里の橘の花は今が盛りですよと)」
 女房などもたくさん詠んだが、省略した。大将の君はそのままお側にお泊まりになる。

寂しいお独り寝がおいたわしいので、時々このように伺候なさるが、生きていらっしゃった当時はとても近づきにくかったご座所の近辺に、たいして遠く離れていないことなどにつけても、思い出される事柄が多かった。

 

《紫の上の葬儀の大方を取りしきった夕霧は、ここでも長男らしく一周忌の法要の話を切り出しました。こういう事務的な用件は、安心して話せます。紫の上が亡くなったのは昨年八月でしたからもう三ヶ月前、早すぎるということはありません。

ただ源氏は、もう一切を人任せのつもりのようです。

夕霧は、話題を転じて、紫の上に子供がなかったことを残念がります。源氏が最ももの足らなく思っている点だろうと思うのでしょう。父の気持ちに寄り添いたいという気持だろうと思われます。

しかし源氏の言葉はこういう時の父親らしい、「そなたこそ、家門を広げなさい」という立派なものでした。もっとも、その夕霧に十二人の子供がいる(夕霧の巻末)ことを知らないはずはありませんから、今更そう言わなくても、という感はあります。

言葉が途切れた時に、時鳥の忍び音が聞こえました。「いかに知りてか」は「古への事語らへば時鳥いかに知りてかふる声のする(思い出を語り合っていると、時鳥が、どうして分かったのやら、昔のままの声で鳴く)」(『評釈』)という歌、ちょうど噂をしているこの折り、「今、このほととぎすは死の国から来た」(同)のだという気持です。

父の気持ちを察して、息子はその夜そこに泊まり、しかし当の父とは少し違う気持で義母を偲んでいます。》

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