【現代語訳】

 道すがらもしみじみとした空模様を眺めて、十三日の月がたいそう明るく照り出したので、薄暗い小倉の山も難なく通れそうに思っているうちに、一条の宮邸はその途中だったのだった。
 以前にもまして荒れた感じで、南西の隅の築地の崩れている所から覗き込むと、ずっと一面に格子を下ろして、人影も見えず、月が遣水の表面をくっきりと照らしているばかりなので、大納言がここで管弦の遊びなどをなさった時々のことをお思い出しになる。
「 見し人のかげすみ果てぬ池水にひとり宿守る秋の夜の月

(あの人がもう住んでいないこの邸の池の水に、独り宿守りしている秋の夜の月よ)」
と独り言を言いながら、お邸にお帰りになっても、月を見ながら心はここにない思いでいらっしゃった。
「何ともみっともない。今までになかったお振る舞いですこと」と、おもだった女房たちも憎らしがっていた。北の方は、真実嫌な気がして、
「魂が抜け出たお方のようだ。もともと何人もの夫人たちがいっしょに住んでいらっしゃる六条院の方々を、ともすれば素晴らしい例として引き合いに出しては、性根の悪い無愛想な女だと思っていらっしゃるのは、やりきれないわ。私も昔からそのように住むことに馴れていたならば、人目にも無難に、かえってうまくいったでしょうが。世の男性の模範にしてもよいご性質と、親兄弟をはじめ申して、けっこうなあやかりたい者となさっていたのに、このままいったら、あげくの果ては恥をかくことがあるだろう」などと、とてもひどく嘆いていらっしゃる。
 夜も明け方近く、お互いにお話しなさることもなくて、背を向き合ったまま嘆き明かして、朝霧の晴れる間も待たず、いつものように手紙を急いでお書きになる。

 

《思いが果たせず切ない気持で、やむなく今夜は帰ることにしました。「十三日の月がたいそう明るく照り出した」と言いますから、割合早い帰りと言っていいでしょう。

道中に、宮の本邸である一条帝を通りかかりました。留守居だけの邸になってすっかり荒れてしまい、築地も崩れて中が覗けるといった有様です。屋敷は格子もすっかり閉じてしまっていて、庭には、晩秋の月影ばかりが虚しく遣り水を照らしています。夕霧は、柏木が存命の頃幾度か催した管絃の会を思い出して、友人を懐かしく偲び、感慨ひとしおの様子です。

しかし、今自分がその友人の妻を恋い慕い、なんとか口説こうとしているさなかであるということについては、何も思わないようで、それとこれとは話が別と、割り切っているのでしょう。

家に帰っても、宮を思うばかりで、上の空ですから、雲居の雁はもちろん、その女房たちも心穏やかではありません。

御息所からの手紙を夕霧から奪ったとき(第三章第二段2節)のやり取りにもありましたが、夕霧は「六条院の方々を、ともすれば素晴らしい例として引き合いに出して」雲居の雁の焼き餅を諫めていたようで、生真面目な彼にとっても、六条院はやはり一つの理想的なあり方と感じられていたようです。

それに対する雲居の雁の反応は、「私も昔からそのように住むことに馴れていたならば、人目にも無難に、かえってうまくいったでしょうが」と、いかにもお嬢さん的で、ほほえましく思われます。そういえば、あの手紙の一件の時も夫から同じように言われて、「以前から馴れさせてお置きにならないで」と不平を言っていましたが、それを作者も「憎くはない」と評していました。

生真面目な夕霧を夫にして、「世の男性の模範」と家族から聞いていた評価も、どうやら言葉どおりではないらしいとこの頃分かってきて、嘆かわしい気持です。

その夜、二人はそれぞれ別々の嘆きを抱いて「背を向き合ったまま」夜を明かしてしまいました。そして明ければ夕霧はさっそく宮への手紙です。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ