【現代語訳】

 九月十日過ぎで、野山の様子は、情趣の十分に分からない人でさえ普通ではいられない。山風に堪えきれない木々の梢も峰の葛の葉も、気ぜわしく先を争って散り乱れているところに、尊い読経の声もかすかに念仏などの声ばかりして人の気配がほとんどなく、木枯らしが吹きすぎている中で鹿は籬のすぐそばにたたずんで山田の鳴子にも驚かず、色の濃くなった稲の中にたちまじって鳴いているのも、もの悲しそうである。
 滝の音は、常よりもいっそう物思いをする人を心驚かし顔に、耳にうるさく響く。叢の虫ばかりが頼りなさそうに鳴き弱って、枯れた草の下から龍胆が自分だけ茎を長く延ばして露に濡れて見えるなど、みなこの時節のいつものことであるが、折柄、場所柄か、まったく我慢できないほどのもの悲しさである。
 いつもの妻戸のもとにお立ち寄りになって、そのまま物思いに耽って立っていらっしゃる。着慣れて柔らかになった直衣に紅の濃い下襲の艶がとても美しく透けて見えて、光の弱くなった夕日がそれでも遠慮なく差し込んできたので、眩しそうにさりげなく扇をかざしていらっしゃる手つきは、

「女こそこうありたいものだが、それでさえできないものを」と、拝見している。
 物思いの時の慰めにしたいほどの、微笑まれてくるような顔の美しさで、小少将の君を特別にお呼びよせになる。簀子はさほどの広さもないが、奥に人が一緒にいるだろうかと不安で、打ち解けたお話はおできになれない。
「もっと近くに。放っておかないでください。このように山の奥にやって来た気持ちは、他人行儀でよいものでしょうか。霧もたいそう深いことだ」と言って、特に奥の方を見入るのではないふうに、山の方を眺めて、

「もっと近く、もっと近く」としきりにおっしゃるので、鈍色の几帳を簾の端から少し外に押し出して、裾を引き繕って横向きに座わっている。大和守の妹なので、お近い血縁の上に、幼い時からお育てになったので、着物の色がとても濃い鈍色で、橡の喪服一襲に、小袿を着ていた。
「このようにいくら悲しんでもきりのない方のことは、それはそれとして、申し上げようもないお気持ちの冷たさをそれに加えて思うと、魂も抜け出てしまって、会う人ごとに怪しまれますので、今はまったく抑えることができません」と、とても多く恨み続けなさる。あの最期の折のお手紙の様子もお口にされて、ひどくお泣きになる。

 

《夕霧と雲居の雁の近代自然主義小説に見られるような夫婦間の家庭内的やり取りから一転して、晩秋の山里が情調たっぷりに語り起こされます。

夕霧が落葉宮恋しさに、思い立って小野の里に訪ねて分け入ったのです。妻に対してどんな口実を使ったのか気になりますが、そういう細部にこだわるのは、自然主義に親しんだ近代の悪癖というべきでしょうか。

九月、晩秋の山里は「折柄、場所柄」、そしてその山里に住む落葉宮の思いもあって、「実に我慢できないほどのもの悲しさ」でした。『評釈』が、「色の濃くなった稲の中」で鳴く鹿は「大将の心」、「叢の虫」の声は「宮の泣き声でもある」と言います。もっとも、鹿については、読者から見ると、鹿のほうがよほど真摯に見えるような気がしてしまいそうですが、大将自身はやはり自分をそのように思っているでしょうし、恐らく作者もそういう気持ちでわざわざ鹿を持ち出したのでしょう。当時の男性の恋の仕方はこういうものだったのだと思うのが穏やかとなのでしょう。

着いても、すぐに部屋にはいるのではなく、「いつもの妻戸のもとにお立ち寄りになって、そのまま物思いに耽って立って…(夕陽に)眩しそうにさりげなく扇をかざして」いるという姿は、花道に立って見栄を切っている趣です。容貌も「物思いの時の慰めにしたいほどの、微笑まれてくるような顔の美しさ」と、この上ない条件を得て、若き日の源氏さながらですが、肝心な時にともするとあのように理屈っぽい話をする(第一章第五、六段など)この人では、なにやら落ち着かない感じです。

しかし作者は、そこにいた女房に「女こそこうありたいものだ」と思わせているところを見ると、彼の合理主義はそれとして、普通に見事な貴公子ぶりとして描いているのでしょう。外見と言葉とが妙に不似合いなのがこの人のユニークさなのです。

少将を呼ぶと、実は彼女は「大和守の妹」、つまり御息所の姪ということで、御息所の喪に服している姿なのでした。

夕霧は「霧がたいそう深いことだ」と山の方を眺めるようにして、端近に誘っておいて、まず御息所の話から始め、終わりも「あの最期の折のお手紙の様子」(第三章第一段の手紙)のことで結びます。なかなかの配慮です。》

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