【現代語訳】
女君は、やはりこのお二人のご様子を、
「どのような関係だったのだろうか。御息所とは手紙のやり取りを親密にしていらっしゃったようだが」などと納得がゆきがたくて、夕暮の空を眺め入って臥せっていらっしゃるところに若君を使いにして差し上げなさった。ちょっとした紙の端に、
「 あはれをもいかに知りてかなぐさめむあるや恋しき亡きや悲しき
(お悲しみを何が原因と知ってお慰めしたらよいものか、生きている方が恋しいのか、
亡くなった方が悲しいのか)
はっきりしないのが情けないのです」とあるので、にっこりとして、
「以前にも、このような想像をしておっしゃっている、見当違いな故人などを持ち出して」とお思いになる。早速に、何気ないふうに、
「 いづれとかわきてながめむ消えかへる露も草葉のうへと見ぬ世を
(特に何がといって悲しんでいるのではありません、消えてしまう露も草葉の上だけ
でないこの世ですから)
この世の無常が悲しいのです」とお書きになっていた。
「やはり、このように隔て心を持っていらっしゃること」と、露の世の悲しさは二の次のこととして、並々ならず胸を痛めていらっしゃる。
このように気がかりでたまらなくなって、またお越しになった。
「御忌中などが明けてからゆっくり」と、気持ちを抑えておいでだったが、そこまでは我慢がおできになれず、
「今はもうこのあらぬ浮名を、どうして無理に隠していようか。ただ世間一般の男性と同様に、最後の思いを遂げるまでのことだ」と、ご決心なさったので、北の方のご想像をあえて打ち消そうとなさらない。
ご本人はまったくお気持ちがなくても、あの「一夜ばかりの宿を」といった恨みのお手紙を理由に訴えて、
「潔白を言い張ることは、おできになれまい」と、心強くお思いになるのであった。
《「所在なく物思いに耽るばかり」(前段)といった夫の毎日の様子は、それを脇で見ている雲居の雁をやっぱり変だという気持させます。
といっても、まだ「どのような関係だったのだろうか」というくらいであるところが、基本的に疑うことを知らない育ちの良さでしょうか。
しかし、そればかりの不安でも落ち着かないのも、そしてそれをストレートに夫に問いかけるというのも、また純なところです。『評釈』は「女君はこの前のことにこりたのか、ずいぶん下手に出ている」と言います。若君を使いにしたというのがせめてもの工夫と言いましょうか。
夕霧の「にっこりとして(原文・ほほゑみて)」は、そういう彼女のかわいらしさについてでもあるとともに、疑いがはっきりしているわけでもないらしいことにほっとした気持もありそうです。『集成』は「苦笑いして」と訳しますが、それでは、彼のみならず、雲居の雁の純情まで品が下がるように思われます。
彼の返事は一応「この世の無常」という一般的真理への悲しみと言いながら、「いづれとかわきてながめむ」、つまり御息所も宮もどちらもですとも言っていて、言うところの「霞ヶ関文学」のようで、雲居の雁にとっては、ずいぶん曖昧で気になるものに思われたでしょう。彼女は「並々ならず胸を痛め」る(原文・ただならず嘆きつつ)ということになってしまいました。夕霧が純な心を振り回している感があります。
その彼は、このやり取りが引き金になったかのように、宮のところに出かけていきます。
それについても、「ただ世間一般の男性と同様」でいいのだと開き直ったようで、しかも「潔白を言い張ることは、おできになれまい」と、弱みにつけ込む打算的な格好で、どうも風流でありません。》