【現代語訳】

 お越しになろうとして、額髪が濡れて固まっているのを直し、単重のお召し物が綻びているのを着替えなどなさっても、すぐにはお動きになれない。
 この女房たちもどのように思っているだろう。まだご存知なくて、後に少しでもお聞きになることがあったとき、素知らぬ顔をしていたよとお思い当たられるのも、ひどく恥ずかしいので、再び臥せっておしまいになった。
「気分がひどく悩ましいこと。このまま治らなくなったら、とても好都合だろう。脚の気が上がった気がする」と、按摩をおさせになる。心配事をとてもつらくあれこれ気にしていらっしゃる時には、気が上がるのであった。
 小少将の君は、
「母上にあの御事をそれとなく申し上げた人があったのです。どういう事であったのかとお尋ねになったので、ありのままに申し上げて、御襖障子の掛金の点だけを、少し付け加えて、きちんと申し上げました。もし、そのように何かお尋ねなさいましたら、同じように申し上げなさいませ」と申し上げる。お嘆きでいらっしゃる様子は申し上げない。

「やはりそうであったか」ととても悲しくて、何もおっしゃらない御枕もとから涙の雫がこぼれる。
「このことだけでない、わが身が思いがけないことになり始めた時から、ひどくご心配をお掛け申していることよ」と、生きている甲斐もなくお思い続けなさって、

「あの方は、このまま引き下がることはなく、何かと言い寄ってくることも、厄介で聞き苦しいだろう」と、いろいろとお悩みになる。

「まして、ふがいなく相手の言葉に従ったらどんなに評判を落とすことになるだろう」などと、多少はお気持ちの慰められる面もあるが、

「内親王ほどにもなった高貴な人が、こんなにまでもうかうかと男と会ってよいものであろうか」と、わが身の不運を悲しんで、夕方に、
「やはり、おいで下さい」とあるので、中の塗籠の戸を両方を開けて、お越しになった。

 

《宮は、夕霧からの手紙に不機嫌になって臥せっているところに、御息所からのお呼びで、行こうとするのですが、気がつくと涙で髪はくずれ、「単重のお召し物が綻びているの」に気がついて、急いで髪を直し、お召し替えです。

着物の綻びは、諸注、「昨夜大将に裾をつかまれた時のものであろう」(『評釈』)としますが、律師が御息所に話したのは「昼日中のご加持が終わって」(第一段1節)からでしたから、昨夜のことからはもう半日以上経っているのに、あの時ままの衣裳というのは意外ですが、そういうものなのでしょうか、あるいは着替えなどする気にもなれなかったと考える方がいいのかもしれません。

さて、母君の所に行こうとするのですが、そういうことですぐには行けません。その身繕いをしながら、彼女はいろいろ考えます。

このまわりの女房たちもいろいろ思っているだろうと思うと、また気が滅入るし、行けば昨夜のことを話さなければならないだろうけれども、自分から話せば、それが大きな事件だと自分が認めていることになるので、自分からは話せない気がする、といって、何も話さないで帰って、その後そのことを耳にされたら、隠していたと思われる、などなどと思うと、またしても起き上がる気が失せてしまうのでした。

ということは、少将は、ここまでは御息所の「お越しになるよう申し上げなさい」という言葉だけを伝えて、例のことを知っておられるとは話さなかったようで、ここでやっと、向こうでのいきさつをかいつまんで話し、自分の話と口裏をお合わせになるとよいと勧めます。

やはり母君は知っておられたのだと分かると、宮は、それなら、と出かけていくことになるつもりだったのですが、そうなればなったで、また改めてわが身の不運を思って涙がこぼれます。「昨夜のでき事が母に知られるのもつらいが、それよりも、その事によって母にまた心配をかける事の方が、もっとつらいのである。大将の方があれですんでしまったのならまだしも、むしろこれから」(『評釈』)なのです。

夕方、また、御息所から、少し厳しいお呼びがありました。

宮は「中の塗籠の戸を両方を開けて」、つまり「調度類などを収めておく部屋」(『集成』)を通って、行きました。「外部のものには宮のお渡りを気づかせないように努めた」(『評釈』)のであるようです。》

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