【現代語訳】2

「いや、おかしい。拙僧にお隠しになることでもありません。今朝、後夜の勤めに参上した時に、あの西の妻戸から、たいそう立派な男の方がお出になったのを、霧が深くて拙僧にはお見分け申すことができませんでしたが、私の弟子どもが、『大将殿がお帰りなさるのだ』と、『昨夜もお車を帰してお泊りになったのだ』と、口々に申していました。
 なるほど、まことに香ばしい薫りが満ちていて、頭が痛くなるほどであったので、なるほどそうであったのだと、合点がいったのでございます。いつもまことに香ばしくいらっしゃる君です。このことは、大変望ましいことというわけではありますまい。

相手はまことに立派な方でいらっしゃる。拙僧らも、子供でいらっしゃったころから、あの君の御為の事には、修法を、亡くなられた大宮が仰せつけになったので、もっぱらしかるべき事は、今でも承っているところですが、まことに無益です。

本妻は歴とした方でいらっしゃる。ああした、今を時めく一族の方で、まことに重々しい。若君たちは七、八人におなりになった。皇女の君とて太刀打ちおできになりますまい。また、女人という罪障深い身を受け、無明長夜の闇に迷うのは、ただこのような罪によって、そのようなひどい報いを受けるものです。本妻のお怒りが生じたら、長く成仏の障りとなろう。全く賛成できぬ」と、頭を振って、ずけずけと思い通りに言うので、
「何とも妙な話です。まったくそのようにはお見えにならない方です。私がいろいろと気分が悪かったので、一休みしてお目にかかろうとおっしゃって、暫くの間お待ちでいらっしゃると、ここの女房たちが言っていたが、そのように言ってお泊まりになったのでしょうか。だいたいが誠実で、実直でいらっしゃる方ですが」と不審がりなさりながら、心の中では、
「そのような事があったのかもしれない。普通でないご様子は時々見えたが、お人柄がたいそうしっかりしていて、努めて人の非難を受けるようなことは避けて、真面目に振る舞っていらっしゃったので、たやすく納得できないことはなさるまいと安心していたのだ。人少なでいらっしゃる様子を見て、忍び込みなさったのであろうか」とお思いになる。

 

《御息所の否定にもかかわらず、この僧はあくまでも率直で、引き下がりません。

 そしてその言い方は、「荒修行に裏打ちされた自信」家らしく、たいへん断定的で、御息所の気持を推し量ることをしません。

 昨夜見たのは夕霧殿に間違いない、自分は殿をよく知っているが(夕霧が雲居の雁に律師に相談があると言っていましたが、相談はともかく、知り合いであったことは事実のようです)、この宮とのご縁は「まことに無益です」と言い切ります。

 さらに、正室がおられて、子宝にも恵まれておられる以上(子だくさんとは言われていましたが、「若君たちは七、八人におなりになった」というのは、驚きです。ちなみに二人が結婚してここまでで十一年目です。もっともこの巻末では惟光の娘との子を含めて全部で十二人と紹介されます)、例え宮様の肩書きがあっても「太刀打ちおできになりますまい」、妻の座を争うというような罪で報いを受けられるにちがいない、と「頭を振って、ずけずけと思い通りに言う」のでした。

 しかし、考えてみれば、本当にそれが大切なことなら、律師は御息所に言うのではなくて、夕霧に言うべきだと思われます。もともと女性は弱い立場にあって、男女の問題で最終的な決定を自分で選択できるはずはない時代です。もちろん、高位の夕霧に向かってこういうことを言うのは実際上なかなか難しいことでしょう。しかしそういうことを自覚していれば、また御息所に対しても言いようがあったでしょう。

 結局この律師は宮のことを思って言っているのではなくて、自分の主義主張を語っているに過ぎません。独善的な善人によくあるパターンかと思われます。

 言われた御息所は、律師には、昨夜の夕霧は私が気分が収まるまで待っていたはずだから、そのことなのだろうと言って「努めて平静を装い」ます。そして、夕霧という人の人物を思いそんなことはないはずだと思いながら、それでも、と不安になっていきます。》

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