【現代語訳】2
女房たちは、
「何の、少しばかりお聞きになって、子細ありそうにあれこれと御心配なさったりするのは、まだ何事もないのに、お気の毒です」などと言い合わせて、この御仲がどうなるのだろうと思っている女房たちは、このお手紙が気に掛かるが、まったく開かせようともなさらないので、じれったくて、
「やはり全くお返事をなさらないのも変だし、子供っぽいようでございましょう」などと申し上げて、広げたので、
「みっともなくうっかりして、男の人に、あの程度であったにせよお会いした至らなさを、わが身の過ちと思ってみますが、遠慮のなかったあまりの態度も、情けなく思われて。拝見できませんと言いなさい」と、もってのほかだと横におなりあそばした。
とは言え、悪い感じではなく、とても心をこめてお書きになって、
「 たましひをつれなき袖にとめおきてわが心からまどはるるかな
(魂をつれないあなたの所に置いてきて、自分ながらどうしてよいか分かりません)
『ほかなるものは(思うようにならないのは心というものだ)』とか、昔も同じような人があったのだと思ってみましても、まったくどうしてよいものか分かりません」などと、とても多く書いてあるようだが、女房はよく見ることができない。普通の後朝の手紙ではないようだが、やはりすっきりとしない。
女房たちは、ご様子もお気の毒なので、心を痛めて拝見しながら、
「どういうことになっているのでしょう。何ごとにつけてもまとないお心遣いは長年続いているけれども、ご結婚相手としてお頼み申しては、がっかりなさるのではないか、と思うのも不安で」などと、親しく伺候している者だけは、皆それぞれ心配している。御息所もまったく御存知でない。
《前段で、宮は、自分から御息所に話をするのは、いかにも何かがあったようで話しにくいので、女房たちが上手に御息所に様子を話してくれれば、御息所の方から何かを言われるだろうから、それに返事する形でなら話ができるのにと思っていました。
一方、しかし女房の方は、中途半端な話をお聞かせして御息所のお心を乱すだけのことになっては心苦しいと、どうも話すことに賛成ではないようです。
彼女たちにとっては、それよりも、夕霧から来た手紙の方がずっと関心があるのです。話の種としての興味もありますが、実際上、宮が夕霧と結ばれるということになれば、彼女たちの境遇もまた、大きな幸運が舞い込んだことになります。
ぜひ返事を、と勧めるのですが、宮はとんでもないことと見向きもしません。「大将が嫌いということではなくて、宮としてのプライドをふみにじられたことが、この強い態度となった」(『評釈』)のです。
それでも、女房はそれを強いて広げて宮に見せようとしたので、宮はとうとう怒って「もってのほかだ」と、横になってしまいました。手にした女房が手紙を盗み見すると、その一部が読めた、という設定です。その手紙は、この場合の夕霧の気持からいえば、すっきりした、いい手紙のように思われますが、どうでしょうか。
ところで、次からの女房の思いが、ちょっと分かりにくく思われます。
「普通の後朝の手紙ではないようだが」について、『集成』が「昨夜果して何があったのか、いぶかる気持」と言います。
ということは、この女房たちは昨夜二人の結婚が成り立ったのだと思っているということになりそうで(ちなみに『評釈』は女房たちは「あれぐらいのことであっても、共に夜を過ごされた事実は紛らしようもない」と思っている、としています)、そうだとすると、その後朝の手紙に「つれなき袖に」とあるのは、彼女たちにとっては確かに不審で「すっきりとしない(原文・思ひはるけず)」ということになり、仲間同士、どういうことになっているのだろうと、思案するばかり、ということになります。
しかし一方、そうするとこの段の初めで「まだ何事もないのに(原文・まだきに)」と思っているのは、どういうことなのでしょうか。
昨夜実際には何ごともなかったのだから御息所に話すところまでは行かないけれども、状況としては結婚したのと同じ事態になっている、という理解で、後朝の手紙はやはりちゃんとしたものであってほしい、ということなのでしょうか。
彼女たちからすると、二人は大変分かりにくい間柄ということになっているようです。それに、今は夕霧の君はよくして下さるけれども、実際に結婚されればまた違ったことになるかも知れない、ということまで心配になって、彼女たちも落ちつかない気持ちです。
せめて相談しようにも、御息所も、まだ何もご存じではありません(「も」というのは変で、「は」とする本もあるようですが、誰にも分からない、といった気持なのだろうと、『評釈』が言います)。》